そういえば何年も前の今頃は・・・。(笑)
そういえば、○○年前の今頃は、お腹の中に息子がいて、生まれてくるのを待っていた。
だいたいにおいて遅めに生まれてくるうちの子どもたち。
やっと予定日の2週間前になっていた。
そろそろ生まれてきても良かった頃だ。
待たされる身にもなってほしかった。
娘は2週間、息子は1週間遅く生まれ、臨月に動いていないのだろう説を展開する人もいて、結構病んだ。
でも、生まれてきたら、丸々太っていて、元気も元気だった。
だいたいにおいて、なぜこの子は私のことを母親だと知っているのだろうか・・・?
と不思議でならなかった。
もう少しお腹の中にいたかった、という様子で、ぎゃんぎゃん泣いていた。というのは、看護師さんの言である。
この子、もう少し、お母さんのお腹の中にいたかってん・・・。
とはいえ、周りにあれこれ言われていたら、さすがにお腹の子どもだって、私の立場を考えて、少し早めに生まれてやろうとも、思ったのか思わなかったのか?(笑)
暑い夏だったな。
でも、まだ暑いとはいえ、9月生まれの息子のことは、どこか秋生まれだと思っているのがおかしい。
切迫早産の危険性もあったのに、結局は遅く生まれてきた息子。
もうどうすればいいの?という状態だった。
横になって休んではいなければならなかった。
3歳で、まだ、甘えたい盛りの娘を抱っこしてみたりして、そんな重たい子を抱っこして・・・、と言われても、娘が大事だった。
お友達と離れて、当時札幌の幼稚園に入ったばかりの娘は、どうも札幌のお友達が恋しかったようだったから、私は一生懸命娘の世話をしていた。
暑いのに、お出かけもした。
おじいちゃんやおばあちゃんに、何かお願いするときも、お腹の張り止めを飲んでいた私のことを気遣って、
ママは、お腹がドキドキするもん、と言っていた優しい娘。
脈拍のことを注意されていて、本当はドキドキするのは心臓だったのに、お腹に赤ちゃんがいることを考えて、お腹になってしまっていたんだろうな。
そんな勘違いも、どこかズレた心配も、一生懸命さが伝わって、健気に思えて愛しかったし、何もしてやれていないと思っては不憫だった。
何も言わないのに、こちらの状態は察してくれていた。
私が長女だから、上の子の我慢はどこかでひしひしと伝わってくる。
妊娠中毒症の疑いを掛けられて、しょっちゅう病院に行っていたけれど、むくんでますね、と言われていた脚を触って、何人目かのある先生がおっしゃった。
これ、むくんでるというより、ただ太いだけちゃうか・・・?
ムッとするよりも、思わず、私もそう思うんですけど・・・、と晴れ晴れとした顔で言いたかったのを思い出す。
2人目は総合病院で産んだので、何かと細かく検査してくださった。
だからある意味忙しかったし、しょっちゅう通っていたような記憶がある。
最近、小さかった頃のことを思い出してみると、幼いながらに、自分の大事なものは大事なものと感じてくれているようだったな、と強く思う。
幼いなりの子どもたちの気遣いを思うとき、ああ、ありがたかったな、と今更ながら感謝している自分がいる。
だからかな。
ついつい親御さんに連帯してしまう気持ちがある。
そして、結構お母さまのことを考えておられるお子さんの気持ちをお伝えすることもある。
つい一緒にいたら、わからなくなってしまう、お子さんなりの気遣いもあるから。
反対に、ついお節介にも、ちょっとはお母さまの気持ち考えてあげてよ!とお子様に行ってしまうこともある。
母親なんて、子どものためになら、何だってしてしまうものだと思うから。