お知らせ

どうしても占いを信じることができない私-稲盛和夫さんの話の中に答えがあった。

私は占いが当たらないのです。
ただ一つ信じているというか、まあ、そうだろうな、神様がそうそう私を早くに死なせてくれるわけないな、という、なんとも言えない実感のせいで、
心配しないで。あなた、長生きするわよ。
という占い師の方の、お言葉を、心配するというより、諦めに近く信じています。

稲盛和夫さんが、中国の古典を引きつつ、もちろん、人に運命があるにはあるけれど、その運命と、努力では、縦糸を運命と死、横糸を努力だとすれば、努力という意図の方が、若干でもあっても、強く引かれます。

だから、もう神様も、お前がそんなに努力するなら、仕方がない、叶えてやろう・・・、というくらいの努力をしなければ、とおっしゃっています。
実際、製品を仕上げるための努力をしている社員に、工場で、
おい、神様に祈ったのか!?
という言葉を思わず口にした、ということがあったらしいのです。

また、不意に、努力している日々の中で、本当に偶然としか言いようのないことから、ヒントが閃き、神様がいらっしゃるとしか思えないようなことがたくさんあったのだそうです。

経営哲学を磨くためだけでなく、人としての生き方として、私は稲盛和夫さんの本を読む時、ホッとします。
ああ、これでいいんだ、と思えます。

利他のこころ、そのこころがあってこそ、自分のしあわせはある。
その思いに私は強く引かれます。

その根本的な哲学に触れるあたりになると、余計に私は、ああ、こういうことだなあ、と思わされるのです。

受験指導をしています。
なんとなく、親御さんや生徒さんに説明もしないで、そのご都合に合わせる、というのも一つの在り方でしょう。
でも、私たちの場合、受験に合格、というところに着地するのが使命です。
その過程でどうあらねばならないか?ということを、しっかりお伝えしなくてはいけません。
人間ですから、いい恰好したくて、まあまあまあ、で行きたいときもあります。
けれど、プロです。
その先のことをしっかり見据えて、しっかりお伝えすべきことはお伝えしなければなりません。
とこの度の夏期講習を実施するにあたり、私は、言うべきことを言わないのは、仕事を全うしていないなあ、と実感するに至りました。

経営者になって、私も経営者の端くれだから、と、最初に本屋さんで手にした本。
それが稲盛和夫さんの本でした。
迷ったとき、生き方を知りたくなったとき、そしてビジネスの根本の考え方が人とは違うと思ったとき、私は、いつも稲盛和夫さんに帰ります。
そして、もう一人、生き方に迷ったときは、ヴィクトール・フランクルに帰ります。

フランクルの前に、困難、というのもはばかられるし、悩む、ということも、生きている証になりそうです。
稲盛さんも、困ったときに、臨済宗妙心寺派の西片たんせつ和尚様に、生きている証拠です。それくらいで業が消えるなら、お安いものです、と言われたそうです。

このお二人の説を聴いていると、精一杯生きて来られたことが、ときにいじらしくなるような(偉大な学者であり、偉大な経営者に大変不遜であり、失礼な表現ですが。)、ポジティブさと、純粋さです。

迷ったときに、帰るべきところがある、というのは、しあわせなことです。
それが、書物の中での出会いであったとしても。

公開:2022/07/27 最終更新:2022/07/27