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自分軸で生きようよ!

最近心理学的な分野で流行りの、他人軸、自分軸、という言葉。
今朝、もう、面倒くさいな・・・、と思っていた件についての発見がありました。

私をイライラさせる話題があります。
それは、出身の高校や大学などで、こだわった話をすること。
いや、私だって、自分の高校に対しての、どうもなんとも言えない違和感というか、解決つかない感情をもっていたので、偉そうなことは言えないと言えば言えるのですが、そっちではなくて、それはもう、偏差値オンリーの方面です。

別に一生高校や大学が守ってくれるわけでなし、というより、だいたい高校や大学が何してくれるねん・・・、と思ってきました。
学校の名前を自分の行動で落とすことは簡単で、ちょっと出来なかったら、○○出ててもになるし、母校の名前に傷をつけないようにするのが精一杯。

むしろ、学校などにこだわらず、それよりも楽しかった青春時代を誇らしく語り、今の自分に自信をもっておられる人の方が、どこの学校を出たか?ということよりも魅力的に思えます。
それに、学歴フィルターがあるのもわかりますが、それにそれはある意味暗黙の了解めいたもので、採用側の勝手といえば言えます。ルックス重視のところもあれば、偏差値重視のところもあれば、その会社にとって必要なことで採用するでしょう。

京都セラミックの名誉会長である稲盛和夫さんは、自分の不明を恥じた、という表現で、仕事を粘り強く続けることの重要性を語っておられました。
まだ駆け出しのベンチャー企業だったころ、優秀な人材は先を見越してどんどん辞めていく。
残った人材といえば、それはむしろ愚鈍な、あれをやれと言えば、それをひたすら一生懸命にやるのが精一杯というだけの人だった。
それが20年ぶりに再会してみると、立派な人格を備えた工場長になっていた。
そのように、社会に出てから必要なものは、学校で教えられたこととはまた違うものなのだと思います。

学歴フィルターで落とされるかもしれない。
でも、行った先で一生懸命に働き、仮に給料以上の貢献をするなら、その会社であっても、もしその会社が評価しなければ、誰かがその仕事ぶりを見て、引き抜きに来るはずです。
自分のステージを上げるときに、まずは自分の環境を最大限生かしてみて、それでも、学歴が必要だったとなれば、それから考えてもいい。
資格試験はだいたいいくつからでも受験できるものが多いと思います。

だいたい自分の実力を、大学のせいにする方がおかしい。
そして、それを言うなら、先に勉強しておけばいいわけです。
自分の努力の足りなさ(親ガチャ理論で言うなら、それだけでないのも実感をもってわかっていますが、それも含めて、)を棚に上げず、まずは努力をする。その次に足りないものを足していく。

私から言わせれば、少々偏差値の高い大学に行って、新卒で小走りも効かない頭でっかちの若者よりも、経験ないから、とにかく動く、そんな人間の方が使いやすいと思います。
変に偏差値から来るプライドがあるから、頭を下げられない、なんて、自信がないと言って歩いているようなものです。

というのも、それさえあれば、と思うほどの力を高校も大学も発揮してくれない。
その後の努力があって初めて生きてくるものだと思います。

だから、その自分のいる場所で、自分のことを誇らしく思って生きて行けばいい。
もし、兄弟で、どちらかが優秀(偏差値で?)で、どちらかがそうでもないとき、どちらかが自慢したり、卑下したりせず、それぞれに楽しい生活を送ればいいと思うのです。

よく、だいたい自慢するというのは認めてほしいから、それに、本当にそのことに満足していたら、自慢する必要もないわけで、それは他人軸、ということになると思います。
かつて、さっきの自慢、悔しいねー、と振られて、自慢されてたんですか?と聞き返すほど気づかないことがありました。

自慢する人は自信がないと思うんですけど・・・、と言ったら、エッ!?という顔をされましたが、自分で自分を認めていたら、自慢することもないと思います。
それに、なんでも事実を言ってるだけなのに、自慢と取る人もいます。
それも自信がないからでしょう。
自慢をされて私が嫌なのは、この人自信(自身)がないんだなあ、と感じるからです。

それが私は非常に面倒くさいのです。
要するに、私は自分の来し方に、生き方に自信のある人が大好きなのです。

公開:2022/07/02 最終更新:2022/07/02