私は、自分の機嫌くらい自分で取りたいと思っているのですが・・・。
ときに、誰かのために走り回ったときに、私は、ご褒美に、○○して・・・、と頼むようにしているし、その理由も話してある。
私ばかりが大変・・・、とは思わないための方法である。
ちょっと気分転換。
それはアイス一個の時もあるし、お茶に行くこともある。
でも、そもそも、誰かのために、○○してあげた、と思うタイプでもないのである。
なぜなら、何かをするということは、それだけ学びもあるし、何かをするということのスキル自体は相当に上がる。
その業界の人とは、どういう風に付き合えばいいのかということもわかる。
結構それなりに狭い?教育の世界でばかり生きてきた私が、全然違うところに出向いて、あれこれするときには、その方面の知識も増え、お世話になった人への接し方、付き合い方を学ぶことになる。
それから、誰かの機嫌が悪かったり、理不尽な態度を取られたときも、自分で自分の機嫌を取るように努めている。
誰かが態度が悪かったから、私もそのせいで、腹が立つ!では、自分というものを相手に乗っ取られているような気がするからである。
私は誰にも私という人間の主体性を乗っ取られたくはない。
私は私という人間を全うしたい。
それは信念かもしれないし、そんな御大層に言わなくても、自分がこうありたい、こうしたい、ということかもしれない。
誰かの機嫌をまともに受けるのではなく、ちょっと交わす。
ちょっとしたユーモアで雰囲気を変える。
昔、新任の学校で、大学の先輩でもある国語科の先輩で、ピリピリとした雰囲気をサッと一瞬で変えてしまえるような先輩がいらした。
その先輩が、じっと考えておられた様子を思い出す。
本当は繊細だと思うのに、器の大きい方だった。
口は悪かったけれど。
そして、どこかで、小さな息子をそんな風に育てたい、と思っていた頃、実家に帰っていた折に、たまたま小児科に連れて行ったときに、入院しておられたその先輩にたまたまお目に掛かることがあった。
何かの縁だったら良かったのだけれど。(笑)
さっと、臨機応変、そして当意即妙に、その場に合った表現ができる人になりたい。
考え方のフレームを変え、そして、感じ方を認めたうえで、違う考え方に持って行く。
それが主体性につながると信じている。