ハハハ、親孝行ですね!と褒められて悪い気のしない私。
今日、哲学カフェに母を連れて行きました。
この人はどこにでも着いてくるのです。
母を連れていると、世の中の人が、どうも私に親切にしてくれるような気がします。
今日も、親孝行ですね・・・、と言われました。
ありがとうございます。
嫌な気はしませんね!そりゃあ、そうです。(笑)
ただ、あまり断定されるのは好きではありません。
母を連れていて、大変ですね、と言われると、母といること自体が、、まるで良くないことのように思えてきますが、長年離れて暮らしていたので、今は、母がいてくれることが嬉しいのです。純粋に。
母を連れ歩くことも、母と一緒に何かすることも、誰にどう見えようと、私は、嬉しいのです。
お買い物に行っても、ああ、お母さんに食べさせてあげたいな、と思います。
それは、伝わっているかどうかはわからないにしろ、義理の母でも同じです。
ひとたび家族になって、それが血縁であろうとそうでなかろうと、ひとたび家族になったら家族です。
かつて嫌なことをされた、とか、嫌な思いをした、とかいうのもあるかもしれないし、そういうことを許してはいけない、というほどのものもあるかもしれませんが、とりあえず、私は、今嬉しいのです。
子育て時代に助けに来てもらったように、こちらが一方的にしてもらうほうなだけでなくて、私がしてあげられることがあるということが嬉しいのです。
先日、母が遠方で緊急入院した時には、正直、もう会えないのか?と思い詰めました。
痛みを訴えていたのに、私はいつものストレスからくる胃痛だろうと高を括っていたのです。
それがとんでもない病名を聞かされた時の自責の念ったらありませんでした。
少々忙しくなることくらいなんでしょう。いや、母が来たから忙しくなった、というほどのことはありません。
だって、今まで一人暮らしをしていた女性ですから。
その場所で、その物の名を言えば飛んでくる、と思ってでもいるかのようだった、若かった頃の夫の姿に比べれば、どれほどのことがあるでしょうか?
実家に帰ると、父に命じられたことをすると、途中で仕事がなくなりました。
父は途中から自分でするからです。(笑)
私の仕事、ここで終わり?と気が抜けたことがありました。
手のかかる旦那さんを持つとありがたいのは、何かにすることが早くなるということです。
ゴルフに行くときに、用意が完璧だと褒めてもらえますが、一つでも抜けていると、叱られました。
皆さんが水筒を持って行っておられるのに、手順がわからなくて、私が持たせなかったときも、私が気の利かない嫁だということになりました。
それはそれでいい思い出となり、結構なことを言われても、まあまあでやり過ごせるし、自分の思い方を変える術ももちました。
そうそうわがままなことを言わない父や母の一人や二人、別にどうってことないのです。
それなのに、私は、偉いね、と言われます。
正直、得をした気分です。
数年前、温泉にハマったことがありました。
なんで男性はこんなに外にお風呂に行くのが好きなのだろう・・・?と長年思ってきた私ですが、自分がハマったら、そのハマり方は、尋常ではありませんでした。今までの分を取り戻すかのように温泉に通いました。
そのときに、あれはお嫁さんだったのだろうか、それとも娘さんだったのだろうか?
スマートな高齢のお母さんに、幾分ぽちゃぽちゃとしたお嫁さんだか娘さんだかが、一生懸命に身体を洗ってあげていました。
洗う側の様子もしあわせそうで、高齢のおばあちゃんも、本当に気持ちよさそうで、私は、なんて素敵なんだろう・・・、と思いました。
品のいいおばあちゃんは、とても賢そうで、きっと人格者なのだろうな、と思いました。
今までの行いが、この日の温泉の様子に現れているような気がしていました。
自分が、実家の母に、そうしてあげることができるようになるとは、こちらに来た時からの約束ごとであったとはいえ、実現するとは思っていませんでした。
正直、いつまで続くかわかりません。
何があるのかわかりませんから。