周りから言われることをどう受け止めるかによって自己評価は変わる
コロナで、余裕がなかったからだろうか・・・?
私は褒められることも多かったけれど、結構嫌なことを言われたこともあって、自信、というよりやる気を失っていたようなところがあった。
別に褒められて嬉しいタイプではない。しかし、指摘を受けたことはしっかり受け止める方である。
そんな今日、ある人にある意味褒めていただいたことが心に響いた。
ある意味久しぶり。
それって、結局自分が自分をどう見ているか?ということに関わるのではないか?と思っている。
だから、人はあまり関係ないような気がしている。
自分がうまく行っていない人は、嫌なことを言うという面もあると思う。
自分が結構うまく行っている人は、人のこともうまく行ってると思うのではないか?と思う。
たまたまクセの強い人に昨年出会って、結構な言われ方をし、私は結構凹んだ。
その言われる理由もわかっていたのに、なぜか凹んでしまった。
それが、今日、なんで?櫻井さん正しいと思いますよ!と言われて、ちょっと勇気づけられた。
一つの行動に対しての評価で、それはよくも働き、悪くも働く。
きっと昨年春の、同世代の人の言葉が引っかかっていたのだろう。
だいたい、その人との出会いは、学歴自慢から始まった。
これは自慢だと思ったから、適当に褒めておいた。
いや、心の底からすごいなあ・・・、と思っていたわけではないので、自分の学校は言わずに誉めておいた。
けれど、あちらは男性で、こちらは女性で、仕事面から言うとたくさん面白くもない思いもされたのだろう。
最後の最後、ものすごいことを言われた。
何で言われているのか頭ではわかっていながら、非常に不快な気分が尾を引いて、そこからあちこちの人にその人のことを聞いたら、その立場からあれこれ答えられた。
が、極めつけは、その人が所属するべき公の団体が、これはひどい仕事ですねえ。ちゃんと資格を持った人の仕事ですか?とまで聞かれた。
そこで、私の感覚は間違っていないとようやくわかったけれど、その時に受けたショックは拭い去ることができなかった。
悪く言おうとすれば、一つのことを言っておけば何とでも言える。
あの時期、むしろ褒めてもらっても良かったくらいだったと自分でも思う。
仕事はほしい。お金も欲しい。仕事がレベルに達していなくても当然にお金は欲しい。そこで私のレベルがひどいということにされた。
時間もあるので、どこがどうおかしいか言ってくれても良かったし、それまでにも時間はあったはずである。
で、相手をひどく言って、自分の立場を守って、仕事ができていないことを隠して、人のせいにするなんて、正直おかしな仕事だと思う。
しかも、私に了承を得ずに送付先に送付してしまっていた。
それもおかしい。
なぜこんなことを書き始めたのかな?
いや、私がなぜ自分を責めていたのか?ということについて考えていたのである。
正当なことなら冷静に受け止め、改善もするだろう。
でも、感情論は聴けないものだ。
なんとか自分が成長するために使おうとするけれど、なかなかそれは難しい。
できればすんなり人間関係を気づける人と仕事がしたいものだと思う。