お知らせ

市役所のサイネージにいる私を見て・・・。(笑) 何がしたいのか再確認しました!

今日、市役所に行く機会がありました。
市役所には思い出がたくさんあります。
市役所に行けばお隣は志貴野中学校。
その昔教員をやめたばかりの私は、妊婦だというのに、学校現場に未練たらたらで、学校のそばを通ると、私はなんとも言えない気持ちになったものでした。

その後、また教壇に立つことができ、果ては自分の教室をもつことになり、志貴野中学校の生徒さんともお付き合いすることになろうともその頃は思わずにいたのでした。

実は、市役所に私の顔が流れています。
流れて、って、動画というほどのものではありませんが、玄関を入ったところに、チェリー・ブロッサムとしあわせるーむの映像が流れています。
そして、今年の春からは、子育て支援ブック「おおきくなあ~れ」の裏表紙にもチェリー・ブロッサムが掲載されています。

その昔、高岡に来たばかりの頃、市役所で、どうしていいのかわからないことがあって、保健婦さんに相談したことがありました。
挙句、私が小さなことを大きくとらえて悩む人、ということになったようで、それがきっかけで、ピアノの教師を目指して、ピアノを再開することにしたのでした。
秋になって、保健センターのマタニティセミナーに行ったときにその保健婦さんと再会したとき、元気ならよかった、と声を掛けていただきました。
その後、訳も分からない土地で、子育てを始めた私は、子育てそのものよりも、あれこれ悩みがあり、周りの声に逆らえずに、言われたことを忠実に守って、挙句に自分を追い詰める結果になってしまったことがありました。またもや保健センターで泣き出した私は、思い詰めるタイプだと思われたようで、そうじゃないんだけど・・・、と言いたい気持ちを呑み込んでいたのを覚えています。

私は、なにかの相談をお受けするための専門家ではありません。心理学の本もたくさん読み、大学でも専門か?というほど授業を受けましたが、何も実地で経験した人間ではないのです。
もしも皆様の役に立てるのなら、資格も取ろうか?と思ったときに、ある親しい方に、先生はやめた方がいいですよ!と言われたのでした。
先生の場合、縛られない方がいいですよ!自由にアドバイスできる立場の人として、相談に乗ってあげてください・・・、と言われたのです。

先日、ある経営系の先生と話していたときに、本当は経営の話をお聴きする場なのに、私は、私の意欲を掻き立てるには・・・?という話ばかりしていて、結局うちの性質について語り合う、というのが定番になっていて、何のための相談やらわからなくなることもあるのですが、その中で、先生は、先生(私のこと)は、昔の自分を助けてあげたいんじゃないの?と訊かれました。
図星でした。
心に響いたのでしょう。
私は、その場で、少し泣いてしまいました。

進学校に入学したけれど、勉強そのものよりも、学校で、良しとする価値観とどうしても合わなくて悩んだ高校生の時の自分。
知らない土地に来て、みんなと仲良くしようと努力しても、どうすることもできなかった自分。
あれこれ言われることをどうすることもできず、流せなくて、悩んでいた自分。
子育て時代の悩み。

今となってはどれも楽しい思い出であるとしか思えないのですが、それで間違ってるわけではないよ、とか、それはみんな自分の立場があるからね・・・、とか、その人その人の気持ちにお付き合いしたいのです。

だから、市役所のサイネージにも、子育て支援ブックにも、塾・予備校である面と、子育てのための相談室であることの両方をお知らせしていただいています。
当時、若かった私が悩んでいたとき、本当にフラットな、感情論を抜きにした誰かがそばにいてほしかった。
その気持ちに添っているように、私は当時の私のような誰かのお役に立ちたいと思っているのだと思います。

勉強面は専門ですが、それ以外にも、生活の中での経験があります。
たくさん学ばせてもらった、自分の経験を、自分一人のものとして置いておくのはもったいなさすぎると思っているのです。
愛しい我が子を持ったお母さんの気持ちに寄り添いたい。
それでいいんですよ・・・、と支えてあげたい。支えるなんてことがおこがましいなら、ちょっと一緒にいたい。

そんな気持ちの表れとして、私は市役所のサイネージの中に自分の顔を入れてもらっているのです。

専門家でないことが、生きた事例が昨年度ありました。
専門家にご相談すれば、その状態の定義をしてくださいます。
今の状態が辛ければ、その定義によって、その状態でいいと思わされます。
それが、そのクライアントさんにとっては助かる面もあったようです。
でも、現実には、その状態から出たい。
そのためには勇気が要ります。

私は専門家でないから、あの手この手を使うことができます。
状態を定義する必要はないからです。
今の状態をどうすれば生きるエネルギーを出して、前に進んでいけるかだけを考える。
その立場を最大限に使いました。

それでも、ときにああ、○○の状態なんだな、と私の中で定義を使うことはありましたが、クライアントにそのことを話すことはあまりありませんでした。
本当に少しずつ、気持ちが外向きになっていくようになりました。
外に向かうと、そうそう自分のことばかりに関心は向かなくなります。
そして、自分の中で起こっていることが、自分だけのものではなく、同世代の人の多くに起こることであると客観できるようになります。
ここまでくればしめたものです。
自分が何かにぶつかっても、それは自分だけではなく、ほかの人にもありうることだと思えれば、悩んでも、乗り越えていくことができます。

そうして、私はかつて高校生だった自分を救うみたいに、自分を固く握りしめているようなクライアントさんを、少しずつ開放していったのではないかな?と思っています。
大学生になって、生き生きと生活している様子をお聴きするたびに、私は専門家ではなくてよかった、と思うのです。
そして、その人はそれこそ専門家を目指して頑張っています。
それぞれに活躍する場も、周りの人に貢献する、その在り方も違っていいと思っています。

かつての自分のような誰かの役に立ちたい、出会って、少し楽しくなっていただきたい、と真剣に思っているのです。

公開:2022/05/09 最終更新:2022/05/09