初夏の永平寺で。この数週間に出会った人たちのことを想う。
この数週間に出会った人の数を考えると自分でも怖い。
今日も、新しい生活を始めるために、ある人に来ていただいたのだけれど、どこかでこれで良かったか?と思っている自分がいて、周りからすると、幾分神経過敏気味のようである。それも仕方がないと言われるほどの出会った人の数であった。
それも馴染んだ人と話すのではなくて、初めての人から毎日のように電話が掛かって来て、それはそれなりに話を進めなくてはならなかった。
結構神経を遣っていたし、その出会う方々にもご都合がある。その仕事仕事で責任の場所が変わってくるし、それぞれにきっちりしなければならないはずである。
そんな、日々のもう最終日に近くに、法要のために永平寺に参詣した。
母が一緒で、母は足腰が悪いし、退院したばかりで、それも結構大変な病気だったので、気をつけながらの参詣であった。
でも、母の気がかりであることも間違いなかった。
そこで、母を気遣いながら、母の気がかりになっていることを解決するために、私は奔走したのである。
いや、憧れの永平寺に向かったのである。
まさかゴールデンウィークにこんなに混んでいるとも思わず、皆さん、相当に信心深いのか、北陸のお寺に集まっていらっしゃた。
受付までに一時間あるから、お蕎麦屋さんに行こうと決めて、あるお蕎麦屋さんに入ったら、一時間あるなら大丈夫・・・、ということで呑気にお蕎麦を食べていたら、受付の時間までには間に合わず、次の法要にしていただくことにした。
一時間ほどの間にゆっくりできた。
最後の法要で、山門が閉まっていたためか、車椅子の母は、坂道を若い雲水さんに送っていただいて、坂道の下まで車椅子に乗ったままであった。
念のため遅めの時間に予約したのに、もう一つ遅い法要になったために、雲水さんのお世話になり、いろいろお話をしていただくこともできた。
初夏が大好きな母は、永平寺の緑に感動していた。
全部良かったね!と小さな子供のように無邪気に喜んでくれた。
お父さん、絶対にここに来たかったと思うねん・・・。と何度も何度も言っていて、ああ、これで肩の荷が降りた・・・、と言ってくれた。
今時はそののちの供養を考えて、総本山までお骨を持って行かない選択肢もあるらしい。
遠くてお参りにも行けないのなら、近くで頻繁にお参りができる方がいい、という考え方もあるだろう。
けれど、父も生前言っていたし、母もその思いを遂げてあげたくて、一生懸命永平寺にたどり着いた。
先日、母が入院した時に、どうしよう?と思っていた。
だから、今回は、無理目であっても、一緒に行っておくべきだと思った。
私は北陸にいるのだし。
なんだか、たくさんの雲水さんとお話できて、何となく、ああ、あの憧れの永平寺の雲水さんとお話ししていたのだなあ・・・、などと、その時は必死で何も考えていなかったけれど、結構なことをしでかしていたのかもしれないな、と今になって、恥ずかしくなって来たりしている。
お経をあげてくださったお坊様も、車いすの母に、「今日は、よくいらっしゃいましたな。」とわざわざ声を掛けてくださり、ありがたかった。
母の肩の荷を少しおろすお手伝いができたのか・・・、としみじみ思えてくる。
北陸に来てすぐの頃、永平寺に行った。
そのときのイメージはさほど残っていなかった。
今回は、一生忘れないだろうな、と思い、今日のことは一生忘れません・・・、と思わず雲水さんに言ってしまった。
本当に一生忘れないだろうと思う。
いろいろな方の親切と、タイミングの良さと、いろんな出会いとこの季節を。