ときに、そのことがあるから頑張れるということー悪条件なり、落ち込むことなり
考えてみれば、深く悩むということには、いつも恩恵があった。
25歳でやってきた北陸での生活。
最初は慣れなかった。
ここでは○○・・・。ということがすべての言いたいことを打ち消した。
大阪で学んだお料理はなかったことになった。
すべてはその家のやり方。
でも、そのお料理の仕方の基本は、悩みに悩んで習得したけれど、それが今、財産になっている。
若いころは、注意されては、辛くも思い、一生懸命やることが裏目に出ることもあって、悩みに悩みもしたけれど、悩んだことって、全部血肉になっている。
誰だっていい。何なら意地悪だっていい。
何も言われないより(いわゆる行き過ぎた、ブラック、と言われるものや、それこそ行き過ぎたモラルハラスメントに当たるもののことではなくて。)、何か注意の一つでもしていただいた方が、自分は伸びる。
誰かに何か言われた、と言って怒るより、そこから何を得られるかを考えた方がいい。
今日はいい言葉をいただいた。
自分を許せなくていい。
その言葉が私を強くした。
いいんだ。そう、できていない自分を認めて、頑張ればいいんだ、と思えた。
しばらく出てこなかった勇気ややる気が戻ってきた。
難しい方と易しい方と、どちらを選ぶ?と訊かれたら、即座に、
難しい方!と答えるだろう。
だって、難しいことの方が、工夫の余地もあり、する甲斐もあり、おもしろいに決まってる!
そういう意味では、ふるさと大阪や、馴染んだ京都なんかにいるより、絶対、北陸に来て、おもしろかったに決まってる。
価値観が違うところに住んだり、いろんな人と出会えたことが、本当に楽しかったし、まあ、なんと彩り豊かな人生であることよ!と、能天気に考えている私は、母の言うところの、超絶楽天家のようで・・・。
そう言えば、娘がかつて言っていた。
息子と私は、3日、超絶深く悩んで、4日目にはコロッと立ち直っている。切り替えているらしい。
いつまでも悩んでいられない。
次の行動あるのみ。
注意されたときも、たしかにできてなかったもんなー!と事実に目を向けるようにしていたっけ。
その昔、先生にでも、ちょっと注意されたら涙ぐんでいたくせに。(笑)
思えば図々しくなったものだ。(笑)
これも年の功?