今日、突然気づいたこと―開校してからの学び
毎日、たいして何もできてない病の私・・・。
周りが、いくら褒めてくれても、もうちょっと自分を評価してあげたら・・・?
と言ってくれても、私は、つい、自分の足りないところばかりを見てしまっているようである。
ああ、○○ができていない。
教室の○○が・・・、などと。
指導ではそういうことが、あまりない。
好きだし、いつでもさっさと気付いたことはやってしまう。
けども、ほかのしなければならないことは、それなりに準備もあり、変に完璧主義のところもあって₍いえ、決して褒められた方の完璧主義ではなくて。₎、つい、きちんと、という言葉が付きまとう。
指導以外の実務など、隙間時間でタタッということができにくい。
だからか、生徒さんについては、自分をあまり評価できない子の、自分で自分の評価を下げがちな子の、肯定感を上げる言葉掛けや話をするようにしている。
そこはお得意である。
しかし、自分を低く見積もる、ということにもメリットはあって、だから失敗しない時もある。
ただ、自分を低く見積もり過ぎて、意欲がなくなって、前に進めない時はそれは良くない。
ちょっとできて、できると思って気を抜くタイプではそれは良くないから、やっていないだろう・・・、と推測することも重要である。
でも、たとえば、インターネットの世界が苦手だった私が、HPを作成してみたり、あれこれ触っても怖くなくなってみたり、いろいろ調べ物ができるようになったり、考えてみれば、開校したおかげでできるようになったことは山ほどあるのである。
どこかに勤めに行って、指導だけしていた頃に比べると、あれこれすることも増えた分だけ、自分ができることも増えている。
それでも最近、いろんなことの形ができてきた。
一度仕事を分析して、これは○○、これは○○の時間で・・・、などとシステム化したかったのだけれど、それができつつある。
でも、チェリーは、幾分家庭的というか、私は学校の要素ももたせているので、あまりガチガチにならないように気をつけている。
書面で、とか、デジタル的に、というのは少し違うような気がしている。
やってみたけれど・・・。
どこか人間的な、心のあり通いを残しつつ、皆さんに公平に、かつ、人を見つめる指導をしていきたいのである。