あっ!?これか!?と思ったこと。
よく、生徒さんに訊いても(あまりしつこくは訊かない)、答えられない様子のことがある。
ときに進路指導で、ときに親御さんとの面談で。
親御さんが、はっきりしなさい!と言われるけれど、どうもはっきりできない様子の時がある。
そんな時、私はあまりしつこく訊くことをしないで、できるだけ応えやすくなるような問いに替えたり、話を違う方面に持って行ったりする。
実は、昔、私にも答えられない時期があった。
何かを訊かれても、何か言うと、答えが決まっているか、あるいは言い負かされそうで、黙るしかなく、時には泣いて、何も答えられない、ということがあった。
そしたら、大人は匙を投げて、
よほど辛いことがあったんだろう・・・(私がおよそ不道徳的なことをするタイプだとは思われないので、咎められはしなかった。そういう問題ではないな、という感じ。)、とそれ以上は訊いてくれなかった。
決めつけられるのが嫌だったのである。
結構気長く生徒さんや保護者の方々のお気持ちをお聴きしたい、と思うのは、そういう経験があるからである。
おそらくは、母は絶対にそうは思っていないけれど、私と母ということで言うと、母の方が絶対なんでもはっきりさせようとするし、まあまあ、というところがあまりない人のような気がする。
私も若いころは、それが正しいと思っていた。
今、答えを出さなければいけない、と思っていた。
でも、人間だから、訊き方についていけないことがある。
先程、仕事が、思ったより早く終わって、1人暮らしの母に電話した。
母が引っかかりがありながら話しているときはわかる。
最後の一言が触ってしまった。
受験期、結構いろいろある。
あれこれ配慮するべきことがあり、それはそれなりに神経を遣う。
でも、受験生でない人にとって、受験が意識できないこともある。
実際的な、毎日の生活に、気が向かない時もある。
一日の最後に、1人暮らしの母に、電話をするようにしている。
私が聴いてもらうという形で。仕事の話など、あれこれ。
教室から、早めに電話した。
そうすると、家に帰って、用事を済ませて、自分に電話を掛けてくるかどうかだけ、教えて、と言われて、なぜか、気に触ってしまった。
つまりは、いつもの時間に掛けてくるかどうか、教えて・・・、という、ほんの些細な問いだった。
なんでも、気分というものがあって、どうするかなんてわからない、というときがある。
けれど、思い出してしまったのである。
学生時代、事細かく母にいろいろ訊ねられて、返答に困ってしまったことを・・・。
私は尋ねられても、困ることがある。
そんなに、決め決めに答えられないことがある。
○○だけ教えて・・・。
それだけはっきりして。
その問いに、困ることがる。
昔、初任の学校でお世話になった方に言われた。
気分というものがあるからね。
大きな組織だった。
みんなで動かなければならない。
トップに聞いても、即断できないこともあっただろう。
それを細かく聞かれても、答えられないこともある、ということだったろう。
人間って、その時のコンディションもあれば、あれこれデリケートなこともある。
意外に気分というのは大事だと思う。
いつもはっきりすることだけがいいことだけではないから。