しあわせのかたち・・・。思い出の中の柿本人麻呂。
しあわせとは?ということについてよく考える。
私が、何かを得ることができたら、しあわせ、という人間ではないからかもしれない。
何かハードルをクリアーしたら、それはもうゼロになってしまって、その次のハードルがほしくなる。
その辺の気質を実家の母はよくわかっている。
次がないと私が困るということに。
それは、仕事かもしれないし、お料理かもしれないし、ピアノの次の曲、というのかもしれないし、ウチの片づけかもしれないし、レイアウトかもしれない。そして、その先を言うなら、洋裁かもしれない。
ただ、一方で、私は、単純に生活する、ということがとても好きであったりもする。
何気ない家の中を渡る風。
家の中を満たす温かいお料理の匂い。
ときに甘いお菓子の香り。
居心地のいい場所を作ること。
そして、そこで、何となくコーヒーを飲んだり、まったりすることも大好きなのである。
でも、たぶん、それが続いたら、私は困るかもしれない。
ただ、その瞬間瞬間の、人との心のあり通い、そこにあるものとの気持ちの交流に、ふとしあわせを感じるとき、ときに短歌を作りたくなったりもする。
ときに、和歌についての指導をしていて、私は、やはり、ああ、この人って、天才だなあ・・・、と思わされる。
なぜか、叙景歌が得意だった。山部赤人や柿本人麻呂が思い浮かぶ。
恋の歌よりも、叙景歌に惹かれるところがある。
その昔、ジャポニカ学習調に載っていた、柿本人麻呂についての文章が、よくわからなくて、なんだか変な名前だなあ・・・、と思い、まだ結婚する前の、同居していた叔母に訊ねた。
これ、どんな人?
叔母なりの説明をしてくれたけれど、国文科の割には、あまりはかばかしい答えではなかったようで、納得いかなかった。
その後、自分にとって、幾分特別な歌人になるとも思わずに、そのときに、ぼんやりと不思議に思って叔母訊いていた自分の気持ちだけは、なぜか今でも覚えている。
そして、万葉集ゆかりの土地に自分が住むことになるとも思わずにいたことも。