別れの理由ー高を括る人
最近、あった、と言うか、決めた別れの相手の共通点を探してみた。
・・・・・・・・・・。
で、やっと共通項が見えてきた。
それは、みんな高を括る、という性質だったと思う。
私は高を括る姿を見るのが嫌いなのである。
自分は○○だから、○○だろう・・・。
○○だから、○○になることはないだろう・・・。
○○されているから、きっとうまく行ける。
少々のわがままは許されるだろう。
今自分がいなくなったら困るから、これくらいの甘えは許されるだろう・・・。
などなど。
高を括る、ということは、思考停止だし、油断だし、何より向上心はないし、そういうつもりはなくても、自己中心的である。
いや、win-winの自己中心的、というのもあるから、すべての自己中心性を否定はしない。
ある種の交渉術も、ときに楽しく笑ってしまう、要領の良さというものも認めないではない。
でも、真面目で誠実であるかのようでいて、その実、その有様が自己中心的になっていることは、というより、自分のことだけを考えているという結果になっていることは多いと思う。
真面目で誠実であればいい、というほど簡単に社会はできていない。
法の無知は保護されないように、自分の生き方は明確に決めなければならない。
そうそう、要するに高を括った人の姿がどうにも好きではないのである。
高を括ったゆえの発言だったかと後で気づいたときの、あの、いやーな感じ。
私はどうにも好きではない。
公開:2021/11/27 最終更新:2021/11/27