夢を見たのです。
先日、実は続けて夢を見ました。
夢はよく見る方です。
ときに予知夢というのがあるそうですが、あ、これは真実だな、と思えるものがありました。
かつて、娘が小学生の頃、ずいぶん娘を可愛がってくださっていた先生が、夢の中で、
おわ(自分は)○○行かんなん・・・。
と夢の中でおっしゃって、母親の私としては、そんなこと信じたくなかったのですが、その先生のご転任をお聞きしてずいぶんと寂しい思いをしたことを思い出しました。
唯一に近く、娘を可愛がってくださっていた先生でした。
だから、本当に頼りにしていたのです。
だからか、私は、少々生徒さんが生意気なことを言おうと、ちょっと違うかな?という態度を取っても、何か理由があるのかな?とその背景を見るようにしています。
うちの子は、転勤や弟の里帰り出産で随分つらい想いをさせて、それが彼女の態度に現れていることを知っていました。
親からすれば全然悪い子ではないし、公平で、正義感が強いけれど、芸術家肌の一面のある彼女は、なかなか理解されませんでした。
ピアノの先生や美術の先生には、結構理解してくださる方がいらっしゃいましたが、おそらく一斉授業には合わない子だったのだろうと思います。
かつて自分が学校で、一斉授業にハマらない子に苦労した経験もあるし、そのことにそれなりのくふうもしたことがあるので、逆に先生方の気持ちも理解できることもあり、結構葛藤があったのを思い出します。
随分話が逸れました。
だから、ときに予知夢の時は感じるのです。
ああ、仕方がないのかそれとも嬉しいのかどちらにせよ、ああ、もうすぐ○○ということなんだなあ・・・、などと。
ちょっとぼんやりとしていながら、どこかで感じるのです。
別に当たろうが当たらなかろうが構いません。
どちらにせよ、生活を明るい気分にしてくれる夢だったので、ちょっと信じてみようと思っています。
私は、それが本当であろうと、仮にそうでなかろうと、その時を楽しめることなら、採用してもいいと思っているのです。
ただ、フランクルの『夜と霧』にあるような、お告げめいた夢を信じ過ぎるのはどうかと思います。
あまりにそのことを楽しみにし過ぎて、その日が来るまでは元気でいたのに、その日に現実にはならなかったと知った途端、死んでしまった、という話があります。
その話については、また、いつか詳しく書きたいと思いますが、とりあえず、今日は夢の話ということで、・・・。