男性って・・・?
詩人の茨木のり子さんは、それはそれは先立たれた旦那様を愛していらっしゃったようである。
夫から、いろんなものを学ばせてもらった、という、その中に、
ズルさ、という言葉があった。
なんで私がこうも、この、お子さんのいらっしゃらない、精神科医と詩人のご夫婦について描かれた、奥様の詩集である『歳月』に夢中になったのかはわからない。
共感できることもそうでないこともありながら、その夫を慕う夫婦愛には、惹かれた。
でも、まだ当時は若かったのか、男性の、いわゆる「ずるさ」というものにはピンと来なかった。
なんで、男性の、と特定しなければならないのだろうか・・・?
私はまだその当時、男性の「ずるさ」など知らなかったのだと思う。
狡い人が存在しても、男性特有の狡さ、というほどのものに出会ったことがなかった。
それから何年経ったのだろう・・・?
男性の?かどうかはわからないけれど、人間の狡さ、というものも少しはわかってきた。
でも、もし、狡いことをする人がいたとして、そして、狡いことをせずに生きることが、もし仮に可能な人がいたとしたら、
そりゃあ、狡いことをせずにいられる方が、楽だろうなあ・・・、と思う。
誰しも良心の痛み、というものは持ち合わせているものだと思うから。
公開:2021/06/23 最終更新:2021/06/23