お知らせ

謝ることができて、ホッとした件について

私の後半の人生の大半をずっと見守ってくれてくださっている方がいる。
その方の立場などを考えると、私にとっては、ちょっと奇跡に近い。

最初、お立場を考えて、その方の親切であったり、優しかったりすることを、信じることも頼ることもできなかった。
いつからだろう?
信頼できる、と思った。

だから、私は何もできないけれど、でも、できることはないかな?と考えたけれど、何もなかった。
相変わらず、お世話になるばかり。

そんな方なのに、私は、数年前、間接的にではあるけれど、直接的にはほかの人がしたことだけれど、私は失礼な発言をしていた。
伝わり方によっては、非常に傷つく表現だし、おそらくは、自分の仕事のことを考えると、私の人格も誤解されそうだし、実は・・・?と思われても仕方のない伝わり方だった。

今日、あちらから、そういう話になったので、気になっていたので、謝った。
ああ、あの、○○、っていう・・・?
とおっしゃったけれど、そんなひどいことを言ったわけではなかった。
上には上をいく、ひどい発言もあるものだ、と思わされたけれど、
とりあえず、

私が、冗談めかして言った表現を、10倍にもして、お話しされたようなことを聞いて・・・。

と謝った。
たぶん、その件からも時間が経っているし、その後の私の振る舞い方から、私が、そんなこと言う人間だとも思われてはいないだろうし、でもなにより、その方の考え方が明るくなるような何かもあったんじゃないかなあ・・・?と思われた。
なんで、私が、その件を知っていると思われたのか、あちらから話されたときは驚いた。
私は知っていても、そんな話、誰かにしたことはなかったし。

でも、謝りたかったから、謝ることができて、本当にホッとした。
恩人に、恩をあだで帰るような発言をしたまま(自分がしたわけではなく、結果的にそうなったわけだけれど。)、正直、人生を終わりたくない。
だって、誰だって明日死ぬかもしれないのだから。

大事な人たちを亡くしてみて、言っておきたいことは、言えることは、できるだけ早く言っておこう、と思うようになった。

私の高岡での生活で、いらっしゃらなくては、私の人生は大きく変わっていただろう人だから。
私が、お日様のもとで堂々としていられるとしたら、その大きな安心は、その方がくださったことだから。
私が、勇気を出して、逃げずにこれたのも、その方のおかげだから。

ということで、ほかのあれこれもありながら、今日は、たいへんに、周りの方々に助けていただいていることを実感させられる日だった。

公開:2021/04/19 最終更新:2021/04/19