実は学校のつもりです・・・。
実は、したいことが明確になってきています。
最初に勤めた学校は、違う方で有名になってしまっている面があるけれど、実は、人を育てる、そこから結果も着いてくるような、そんな、私にとっては素敵な学校でした。
なんだか世間では違うことで有名になってしまっているし、その有名になるきっかけになった部活動は、学校の本当に一部であって、私が勤めていた当時、ほかの部の方が日本一になっていることも多く、また、勉強のできる目立った秀才も何人もいました。
卒業生である先輩の先生方には、それこそ優秀な方々が多く、今でも当時の先生方とお話しするときに、やはり、人間関係的に恵まれていた、と思わされることが多いのです。
心構えと言うのかなあ・・・。
陰湿ないじめなど職員室にはなかったし、そりゃあ、日本社会ですから、それに、まだ男女雇用均等法三期生でしたから、「何のかんの言っても女性は家庭に入るのが一番しあわせ・・・。」という風潮もあったのです。
自分が通った進学校とは真逆でした。
お前は裏口と違うか・・・?と言われるほどおっとりして見えていた私が、高校を卒業し、大学に行くと、やはり行動派に見えるほど、高校は特徴のある学校でした。
正直、日本一ある意味変わっているのではないか?と疑っている面もあります。
だから、初任の学校では、私は結構バタバタしているように見えていたようです。
もちろん、おっとりして見えるのは見えていたようですが・・・。
詰め込み式の勉強だけではなく、社会に出ても通用するような、そして、生きることを学んでもらえるような場所にしたくて、教室を運営しています。
だから、あまり、塾という表現をしたくないくらい・・・。
ついつい教室、という表現をしてしまいます。
ここでは、していいこととよくないことをしっかりと教えていきたい。
経験の中で、勉強をいくら頑張っても、本番に強くならなければ、合格はできないし、また、言いたいこと言って、したいことして、さんざん周りに迷惑かけて、そうしたら、どこか大切な時に自分に返ってくることを実感しています。
人生にうまい方法なんて、本当にないなあ・・・、と思っています。
運だけで生きてきたような私を、実家の母は、努力家だと言ってくれます。
先生筋の人の表現を借りれば、「これだけ努力して、それでダメならあきらめもつく・・・。」という話で、私は努力こそが運を引き寄せることを知っているのかもしれません。
確かに努力はします。
でも、手っ取り早い結果は、それだけの効果しかないこともどこかで知っていて、あまりに早く結果が出ると、怖いときもあります。
じっくりゆっくり、でもたゆまぬ努力をしていきたい。
一方、生徒さんの姿勢が変われば、それこそ3日で、勉強の効果が出た、という経験もしています。
それまで成績の面で低迷していた生徒さんが、ある言葉をきっかけに、あるいはある気づきのもとに、姿勢が変わって、3日で変わった子もいれば、ほんの数週間で、成績が劇的にアップすることもあります。
それはよく、県立入試の前のドラマとして起こります。
でも、きっと、それまでの蓄積がどこかにあって、それが顕在化する時期、というものがあるような気もしています。
そして、ちょっとおこがましい話ながら、もし、それが自分の言葉からだとしたら、生徒さんの心の中に入る瞬間を、私は、ふとわかることがあるのです。
生徒さんに響けば、合格します。
そんな、不思議な経験。
でも、それが生きていくことの基本だと思うのです。
自分との闘い。
一生掛けての自分との付き合い。
よりよい自分になるために、しあわせになるために、受験はあるのだと思うのです。
親御さんも成長していかれます。
ご自分の在り方に気づかれることもあります。
とにかく、単純に、親御さんに注意するためだけではなくて、親御さんと一緒に生徒さんを育てるために、遠方から保護者の方がいらして、一生懸命、生徒を指導されていた先輩方の姿を今でも思い出します。
だから、私は面談が嫌いではありません。
親御さんと一生懸命にお話して、一緒に育てていきたい。
明確な自分の意志を持ったお子さんを育てて生きたい。
それに、もう成人してしまったとはいえ、子育ては、そして、子どもを通しての自分を育てる営みは、私もまだ、ずっとずっと続いてくはずですから・・・。
この仕事が心底好きです。
だから、私は、お布団の中で死ぬよりも、ああ、今日も授業して、楽しかった!というその瞬間に、ばったりとあっさりと、ああ、楽しかった!という、人生の終え方をしたい。
だから、毎日教育活動を、楽しく続けていると思っています。
そんな日々を重ねていきたいと思っています。