朝活でのスピーチに向けて・・・。
10月の半ばに、最近、出席させていただいている朝活で、スピーチをさせていただくことになりました。
実は、このお話、最初いただいたときに、とっても心ときめきました。
普段から、自分の教育への想いをお話したいと思っていたからです。
以前、ラジオに出演したり、書籍になったりはしたけれど、皆様にじかにお話しする機会はなかったので・・・。
これも、自分が求めて出掛けた「哲学カフェ」での出会いからのことでした。
結構生意気なことも言って、本当は、何にも言わずに楽していたい自分がいつもいるのですが、どこかに、やってなんぼ、の母校の高校が、チラつき、どこかで、何か発言しなければならない、あるいは、何かしなければならない、と思ってしまうところがあるようです。
人生の先輩から、フォローをいただき、温かくくるんでいただいて、とっても嬉しかったのを思い出します。
各種セミナーや、あるいは、勉強会など、出席することがあります。
そんなとき、本当はちっとも目立ちたくなんかないのに、少しでも、役に立ちたい、と思ってしまう自分がいます。
誰かのお話をお聞きして、黙って自分だけ吸収しているということができないのです。
また、思わず知らず、目立ってしまって、自分が発言を求められてしまうときもあります。
大抵は、私の想いや、ちょっと気を遣っている気持ちも思いやってくださって、理解してくださる方もいらっしゃるのですが、曲解されることもあります。
結構、私なりに勇気も出しているのですけれど・・・。
だからこそ、そのとき、私が言ったことを、くるんで、まとめてくださった方の想いが、とても嬉しかったのです。
年上の人がいらっしゃると、本当に助かります。
ホッとします。
こんなことを書いていると、幼かった息子を思い出します。
生まれたときから、実はおとなしい子でした。
そんな息子が、ここぞというときには、勇気を振り絞るのです。
決して自分のためでなく、周りのために・・・。
学校の先生には、息子を理解できずに、ただの目立ちたがり、というレッテルを張られて、寂しくなったこと、胸が痛んだこともありました。
いつも、自分の振る舞いに、人への想いをもっていた息子の小さな姿が、最近思い出されてなりません。
母は、よく私について、「あの帽子を被って、幼稚園に行ってた姿が思い出されて・・・。」と言ってくれます。
誤解されそうな、生徒さんを見るたび、役に立てないかな、と思うのは、そんなところからきているのかもしれません。
というわけで、昔、里帰りから帰る途中、大阪梅田の紀伊国屋書店に娘と息子と行ったときに買った、『子どもへのまなざし』を再読しようと思っています。
子育て時代、誤解されがちな娘に胸を痛めて、子育てについて悩んでいたころに読んだ本です。
先日、面談をしました。
いえ、面談はよくします。
でも、そのときの面談は、私にとって、いつもの面談よりも中身のあるものでした。嬉しい重さ。
私が、娘や息子を育てることを通して、経験したことが、生徒さんや親御さんへの理解につながった、と実感できるものだったからです。
娘と息子を育てることから、学ばせてもらったものを活かせることができた、と思いました。
全く教育現場から離れていた数年も、しっかりと教師としての大切な経験を積んでいたのだ、と思えるし、それだけ一生懸命子育てしていたのだな、と若かった自分を愛しくも思えたのです。
今、子育て中の親御さんの役に立ちたい。
今、悩んでいるお子さんの役に立ちたい。
もちろん、悩むこと自体からの成長も否定はしません。
でも、ちょっと誰かの理解や、誰かに話すことで、ちょっとだけでも、生きていきやすく、また、毎日が楽しくなることが在ると思うのです。
同じ乗り越えるにしても・・・。