お知らせ

相手の立場になってみることー自分の考え方からちょっとはみ出してみること

人間関係に困っていたりはしませんか?

たとえば嫁姑関係、ご近所関係、ママ友との関係。

私は、若いころ嫁に来て、とんでもなく思ったことがあります。
私も含めて、なかなか相手の立場に立ってものを考えるというのは難しいのだなあ・・・、ということ。
また、自分がそうあろうと努めてみたところで、なかなか見えてこないものがあるということ。

新婚三か月で義父母と同居することになった私とお姑さんとの関係を、夫は、

どちらかの個性を徹底的に潰せばうまく行くと思っていた。

と表現し、唖然としたことがありました。
その言葉の不毛さにびっくりしました。
私など、都会で意見を言えてなんぼのところに生きてきて、むしろやっと意見を言った・・・、と褒めてもらえるような人間だったのですが、お義父さんはもっと個性を出して・・・、と言ってくださいましたが、お姑さんや夫は、嫁は何も言わないのがいい嫁、と思っているようでしたし、事実、お姑さんは、ご自分はそれを実践され、どんな理不尽さにも横暴さにも耐えて来られた方でした。何をもって理不尽か、横暴か?ということは受け止める個人にもよりますが。
それをそのまま私に飲ませようとされていながら、婚家で妹さんがお姑さんからあれを言われた、これを言われた、と私におっしゃっていました。

今ならお姑さんから見たら、私が妹さんに比べて言いたいことを言って、そうそう注意もされていないけっこうな娘に見えていたのもわかります。
それはお姑さんから見てそうであろうというだけで、私がそうだったと思っているわけではありません。

今なら、時代性、地方性、器量や受けてきた教育の面から、その見方を客観的に考えて、

ああ、そう見えていたかもしれないなあ・・・。

とも思えます。
でも当時は大ごとでした。
なんでこんな誤解を受けるのか?なんでこんなことを言われるのか?意地悪なのか?気付かずに言っているのか?

人が意地悪を言うものだということをそれまではあまりわからずに来ていました。
自分の実家が意地悪を言う人がいなかった、というか故意に言う人がいなかったということなのかもしれません。
だから私の悩みを話すと、私はよっぽどいいところで育ってきたのね、と言われることさえありました。
女性同士の、意地悪言ってやろう・・・、仲間外れにしてやろう・・・、みたいな感情がわからないし、理解できないところが私にはあります。
いまだにそうです

私は相手の立場になって考えてみることのできる人が好きです。
たとえば先輩になったときには後輩の気持ちを慮ることのできる人になり、後輩の身では先輩はこれこれこういう思いかもしれないなあ・・・、と思える人。

でも、大抵そういうことができる人というのは成功しているもので、私たち凡人というのは、なかなか自分の視点から抜け出せないものなのかもしれません。

私はたいてい、相手と言い合いになりそうになると降ります。
この人とこれ以上話していても無駄だな、と思ったら降ります。

そして、この人からはこういう見方になっているんだなあ・・・、と思うようにしています。

でも、どうしても降りられない人がいます。
どうしても自分が正しいという思いからぜったに抜け出せない人相手だと降りられません。
誰しも絶対ということはありません。

育ってきた環境も、生きてきた過程も違うのだから。

私はずっと○○だと思ってきたから・・・。
という人がいらっしゃいますが、それって、自分の考え方から一歩も出ていないと表明しているようなもので、私は、そういうところから抜け出したいなあ・・・、と思っているのです。
でも、その人と議論してしまうのであれば、それは私も同じようにその見方から一歩も出ていないことになるのかなあ・・・、と思ってみたりします。

きっちり言わなければならないと思っている人はしんどいです。
自分の思いをしっかりって、どこまでがしっかりなのだろう?
だれだって、自分の気持ちに気付いていないことだってあるのだから。

誰かの関係性に悩まれたとき、ちょっとチェリー・ハッピーに話に来てみませんか?
いろいろな場所でいろいろな立場で人間関係を構築し、いろいろな経験をしてきた私がお話をお聞きします。

大阪の弁護士さんとも交流し、若い世代が健やかに育つ支援に参加したいと考えています。
(もっともっと交流していきたいのですが、まだまだ手一杯ですが。)
よりよい人生を過ごしていけるよう、ご協力できるようお話を聞かせていただきます。
先日も、しあわせるーむの活動をもっと広げてほしいというお電話がありました。
サボってちゃいけないな、と思っています。

公開:2024/01/31 最終更新:2024/01/31