相手がやろうと思うような言葉掛け
私は命令が嫌いです。
する方もされる方も。
だから、言うことを聞かない、という表現も大っ嫌い。
かつて新任で勤めた学校では、生徒が騒いで授業にならなかったりしたら、それは当然?教師のせいだった。
まだ若かった私は反抗心もあり、担任の先生の指導が悪いのよ!と思ったりした。
だいたい騒いでいるクラスは私があまり好ましくなく思っている先生の担任のクラスだったりした。
だんだんその学校での教育がわかって来た。
とりあえず目の前に起こっているできごとは自分の課題。
なんでそうなっているのかを考えた。
単純に年若い女性の教師から何かを得ようとはしておらず、遊びたかった・・・、というのもたしかである。
しかし、こちらは教科指導をする身。しかも大好きな国語。
そこでどうしたら授業を聞いてもらえるか考えた。
また、生活指導部だったので(全く人を取り締まりたくない性質なのに。)、生徒にあれこれ言わなくてはいけなかった。
今でも、教室で、生徒に、
そのホック留めなさい!
髪の毛長いでしょ。ゴムでくくりなさい。
スカート!
などと当時を思い出して言ってみると気合が入って、自分でもそれが怖かったりする。
とりあえず学んだ。
どうすれば生徒が私の言葉を聞いてくれるかということを。
それに寮長先生が教えてくださった。
何かを言って、それをそうするかどうかはその生徒の自由。
ただね、言うことを聞かれようとそうでなかろうと、言い続けなければいけない。
だから私は物言わぬ植物を育てるようにしているの。
なにも返ってこなくても水をやり肥料をやる。
何年後に花開くかわからないけど、わからないなりに育てる。
それが教育。
なんともいいことを教えていただいていたものだと思う。
寮長先生は直属の上司ではなかったけどずいぶん目を掛けて可愛がってくださった。
いつか自分の言葉が届く日が来るかもしれないと思いながら、性急に答えを出さず見守ることができるようになってきたのかもしれない。
あの時代を経てから子育てできたのは本当にラッキーだった。
何かを頼むには、相手がそれをやろうと思うように言わなければならない。
無理やりやらせたり、無理やり自分の思い通りにうまくいけばいい、というようなあり方では人間関係にひずみが来る。
そういう人も中にはいる。
自分の立場が嫁から姑になり、自分は姑の言うことは全部聴いてきたから嫁は絶対服従だろう、と思い込んでいる人。そのくせ自分の娘が姑から言われたことには過敏に反応したりする。自分がされた理不尽なことは次の世代にもする。
あるいは後輩の立場の時に先輩にやられたから後輩にやり返したがる人。
これでは負の連鎖である。
甘やかすのとは違う。言って聞かせる。あるいは言葉より行動で伝えることもあるだろう。
最近、若い人について、あれ?ということがあった。
どの道もうすぐ会わなくなる人である。
しかし、親切ならそれはどうかな・・・、と言ってあげるべきだろう。
でも、サラッと流すのも大人というものである。
教育というのは難しい。
だいたい人に何かを言って命令になるのはおかしい。
言ったことはしろ!というのもおかしい。
捨てておけない人で、そのままではみすみすその人が不幸になるのを見逃してしまう、という関係性においてのみやっと何かが言える。
言おうか言わないか迷いつつ、自分がいい子になるためだけに、波風立てたくないがばかりに何にも言わないというのはどうだろうか?と迷っている。