昨日の台風の影響で休校にして、一日中キッチンの片付けをしていたこと。
家の用事をして、教室に出勤する。
教師席に座った途端、力がみなぎり、背中がシャキッとするのを感じる。目まで全体の神経が生きてくる感じ。
私の一日は、この時のためにある。
そのためにほかのことが少々できなくても、おろそかになっても、とりあえず指導がしっかりしていなければ・・・、と思う。
当たり前の当たり前のことなのだけれど、たまに、本当にたまーに、家事だけを専念してできる日が、びっしり埋まっているはずのスケジュールの中のエアポケットのように、急に現れる。
昨日がそうだった。
一昨日、高校生に、
先生、明日お休みにしたいです!
と言われて、頭の中は???
台風で高校が休校になるらしく、また、昨日は高校生の指導ばかりで、一コマ目の生徒さんは英検受験のため欠席となっていた。
金曜日はお休みをしても最も影響のない日でもある。
これは、休講にするかどうかをあやふやにして、当日どっち?となるよりはあらかじめ休校にしておいて、そのあと振替を考えた方がよさそうだな、と判断し、その時点で全員に休講の旨と、指導の日に当たっている生徒さんには個別に連絡も入れた。
というわけで、急遽昨日はお休みになったのである。
中学校と小学校はお休みではなかったので、日常生活レベルでは動けた。
だから、先日から気にしていた収納用品を買いに出掛け、一日中キッチンの使い勝手を良くするべく、奮闘していた。
冷蔵庫の横にすっぽりハマっている可動式のストッカーの使い道がイマイチだなあ・・・、と思っていたのだけれど、シンプルに白に統一した置くだけのボックス式の蓋つきのストッカーを5つ買って来て、スタッキングすると、とんでもない容量で、これは使い勝手がいいわ・・・、となった。
ニトリでもなく無印良品でもなく、まずは100円均一に行ってみた。そしたら素敵な収納ボックスがあって、即決になった。
保存容器の定位置を替えてみたり、今更ながら調味料の置き場所を替えてみたり、あれこれ考える。
要らないものの選別もうまくいった。
先入観というのは怖い。
このスペースにはこれ、と決めてかかっていたけれど、その先入観を外してみたら、以前よりおしゃれに機能的になった。スッキリした。
先日からキッチン収納について考えていたけれど、母の歯医者さんの付き添いで待合で待っている間に、ちょうどいいキッチン関係の本があったので情報収集したのが生きて、優しい感じのするバスケットがいいか、統一感を出すために白がいいかと考えていて、スタッキングできる白のストッカーがいいなと思った、実用的なようを選んでみたら、正直正解だったなあ・・・、と思った。
まさかこういう結論に至るとは思っていもいなかった配置である。
正直、キッチンの物の置き場のシステム化は仕事にも影響する。
作り置きのお惣菜の保存の仕方、賞味料の出し入れの機能性、食器の配置。鍋の置き方。
利き手の右手が伸ばせばすぐにある、あるいはほしい調味料がすぐ手にできる、そういう利便性が、調理の時間と調理の出来具合に影響する。
思えばそういうキッチンのあれこれを、あちこちのキッチンで何度取り組んできたことだろうか?
収納の仕方を考え、昔はあった金物屋さんに何度も足を運んで、ここに何年も済むわけではないから、とあきらめた道具もあった。
買うかどうかを逡巡してバギーを押しては見に行っていた頃が懐かしい。
今は車に乗るようになったし、土日を待って一緒に買い物に着いて行ってもらって一緒に買うかどうかの判断までしてもらわなくても、自分であちこち行けるようになり、それなりに自分で判断できるようにもなった。それに何よりネットで注文ができる。
メジャー片手にこのスペースには○○。などと考えるのも楽しい。
ときにそれぞれの定位置が決まり切って何年も経っていても、その調和を崩してみるのも楽しい。
自分が新たに挑戦するお料理にもよるし、ダイニングテーブルでどんな作業を始めるかにもよってくる。
夕飯の用意をし始めるころまで、居心地よさげにいてくれた友達が言ってくれたことがあった。
ほんっとに楽しそうにお料理するよねえ。
そうそう、教師席に座れば背中の筋が伸びるけど、キッチンに立つのも心浮き立つことである。
それに私の不遜なところ。
誰に作ってもらったお料理より、どんなおいしいお店でいただくより、実は自分でなんてことなく作ったお料理が一番おいしいし、お腹に収まる感じが違って、満足感が違う。
ときどき久しぶりに作ったお料理が、まるで昨日も同じものを作ったかのように同じ味わいでできて、それをしょっちゅう作っていたときの勘所というのは自分の身体の中に残っていて、すぐさま作り出すというのが自分でも面白くて仕方がないのである。