自分の子どもさ加減に呆れているということ。(笑)
私はまるで子供のように、誰の言うこともまともに信じてしまうことがある。
頭でこれは盛ってる話だな、とかまあ、自分の都合で行ってるんだな、とか、挙句嘘だな、ということであっても、結構真に受けてしまう。
まあ、どこかにあるどうでもいいことなら、ああ、そうか・・・、くらいだけれど、自分に対しての指摘めいたことなら、それはむしろありがたく悩む。悩んで、そのことについてまともに努力してしまう。
だから、○○ができていない・・・、というご指摘程ありがたいものはないくらい。
そのことについてまともに対策を練る。
本を買ってきたり、ネットで調べたりして、知識を得、方法を探り、そして実行する。
だから、私に対して意地悪な人は、褒めておけば一番いい。
だって、現状維持を決めるから。
かつて意地悪な人(この人の話を聞いていると、自分より何かができたり、器量が良ければ、それは相手が悪い、という考え方なのだなあ、とわかる。)がまともに私ができていないことを重箱の隅をつつくように指摘されたので、私はそれをありがたく拝聴し、そのことについて努力して、一応言われていたことはできるようになってしまった。
これではアホである。(笑)
それに、意地悪した人に思わず知らず逆襲してしまっている。
最近、結構まともにその人の言うことを聞いてきた人の話す内容のからくりに気付いて、その人の思考回路に気付いて、唖然としてしまった。
アッサリシャッキリ離れるだろう。
あの、その人の言うことをまともに聞いていた時間はなんだったのだろう?
最初出会ったころ、その人からの態度に私は怪訝な思いをしていた。
私はそんなに可愛くはないし、今まで付き合ってきた人とは違う態度を取られて、ちょっとばかりモゾモゾしていた。
でも、そのうちそういうことにも慣れてきたが、こちらも年を取れば、それなりに成長もする。
またまたおかしいな、と思い出した。
ある日突然、これではこの人、まともに仕事しているわけではないな、と思い、仕事を一生懸命する人が大好きな私にとっては関係性をこれ以上続けるわけにはいかない。
私は、ほかの所ではとにかく、自分に対する仕事について、だらしなくなく、逃げずにしっかり仕事をする人が好ましい。
とあれこれ書いてきたが、遠方にやってきたことも含めて、私がそういうところにいた、ということだろう。
慣れない土地では、それなりにわからないことも多かっただろうし。
ちょっと自分が成長した、ということだろう。
同様に、自分の人生の中で大活躍して、だいたいにおいてその人の言っていることを聞いていれば、相当な部分で参考になる、と思っていた人の限界も感じることもある。
結婚したら、実家のことも兄妹のこともそうそう気にすることはない、と言っていた人が、ご自分は、いつも子どもたちとその配偶者と孫をなんだかんだ言っては寄せ集めているのを知ったときは、それも唖然とした。
私には、全く違うことを言ってきて、それで自分が病気をした、やれ誕生日だと言っては子どもたちが駆けつけてきて、挙句、次男の嫁が来ないのは、まあ○○だから・・・、とか投稿している。
こういう人の言うことをまともに聞いて、私は実家より婚家ばかりを大事にしていたのか・・・、と驚いたこともある。
こういう呪縛から逃れて、随分と楽になった。
人にはなんとでも言える。
自分が実践していないことでもなんとでも言える。
そうできないからこそ人には言えるのかもしれない。
ただ、私はそういうことを言ったその人に面と言わない。
そんな親切で面倒くさいことはしない。
単純に離れるだけである。
それに私は自分のできることしかしないし言わない。
それに、矛盾に気付いたら、その場で謝る。
というわけで、私はもしかしたら、こころの中で、自分の人生の中で結構助けてくれてきた重要人物について、ちょっと距離を置き、こころの中ではすっかり線を引いているのである。
自分の子どもさに相当な部分呆れながら。