お知らせ

愛情に気づけるかどうか。

子どもたちを育てるにあたって、一番願っていたのは、愛されている実感をもってほしいということでした。
愛されている実感があれば、どこに行っても周りの人を信頼して、自分らしくいることができます。
それに周りの人を愛することもできます。
それは世間には騙す人もいるから疑ってかかれ、という一面があるのとはまた違う次元の話です。
愛されていると思っている人は、騙されたとしても、その対処の仕方が変わってくると思います。

かく言う私は愛情の受取下手。
たぶん恨みつらみの多い、真ん中っこであることが影響していると今でも恨みがましく思っています。(笑)
最近、ある人のせいで昔のことを思い出すことが多くなりました。
全く昔を美化できないタイプであるので、私は良い思い出さえもときにそんなに良くなかったと思っているときがあります。
でも、具体的に思い出してみると、まあ、なんと多くの人の思いに包まれて生きてきたことだろうと思うのです。
周りの人の思いやりに気づけるかどうかというのは大切なことだと思います。
その思いやりがこころまで届くかどうかは、周りの人の力もあるにはありますが、やはり受け取る本人の力によると思います。
頭ではそう思っていなくても、こころが感じているというのはよくあることです。
口ではそう言っていなくても、どこかでその言動から愛されている実感のある人というのはわかるものです。
私もそのうちの一人かもしれません。
大学時代から今日まで、陽キャだとか、周りに一杯人がいそうだとか、みんなに愛されてきた、だとか言われ続けてきました。
でも、本人は自覚がないのです。
もしかしたら事柄として知ってはいても、わかっていないのかもしれません。

教室に来てくれている生徒さんにはできることなら愛されることを実感してほしい。
もっと口幅ったい言い方をすると、ほかのだれが愛してくれなかろうと、ここには愛してくれる人がいる、と思ってくれたら嬉しいのです。
親御さんの愛も気づけないこともあります。大人になればどこかでふと実感もするのでしょうけれど、なかなかこころに沁みわたる形で感じることは難しいものだと思います。近しければそれだけ葛藤も多くなります。
周りがとやかく言うことでもないし、また言ってはいけないこともあります。
だからこそ、他人というワンクッションがあってもいいな、と思っています。

公開:2023/03/09 最終更新:2023/03/09