だいたい無理があるな、と常々思っていること。ー古文の教師をしていて恋について語ること。
今日は和歌について語っていた。
私は恋の歌よりもどうも叙景歌が好きなような気がしている。
古文の教師をしていて、これはまずい、と常々思ってきた。
が、しかし、『源氏物語』などを読むと、私はそれはそれは熱く人の心を語り、それを聴いた周りの人たちに、
先生って、『源氏物語』がご専門ですか?
と何度聞かれたことだろうか。
いや、光源氏の情けない姿に比べて(だいたい、私はあんな男性好きになれない。(笑))、むしろその息子である堅物夕霧の方が好ましいくらい・・・。(笑)
なんであれほどのめるのかわからないが、あの女人たちの苦悩はわかる。
夫をめぐる姑との三角関係を経験したからか?
そのほかにほかの女性に嫉妬するような(できるような?)恋愛経験はなかったし。
それが自分でも謎である。
それにしても、紫式部、女性の気持ちを描くのがうまい。上手過ぎる。
友人に指摘されたように私は、「文学語ってたら大人なのにね!」と言われ、「恋多き女」などと表現された大学時代は、「どこで、恋があったん?」と友人に訊ねる始末である。恋多き、ではなくて、子ども扱いされて、ああ、こいつ、連れていけや・・・、というなんとも女扱いされていない男子とちょっと子どものように遊んでいたのと対照的に、もっと大人な女性らしい友人たちが、奥ゆかしく男性と距離を取っておられたからだと思う。
私を女扱いしてない・・・、と言ったら、お前も俺らのこと男扱いしてないやろ?と言われて、ほんまにそうやなあ・・・、と思っていた。
心の広い彼氏を持っていたのであろう。きっと。
当時は彼がいるから、誰と遊ぼうと(遊ぶったって、場所が京都なだけに、神社に行ったり、映画に行ったり程度。)、大丈夫、と思っていたような気がする。
思い返せば、2つ上の兄を食っていた当たり、男性に免疫がないわけでもなく、周りの姉妹で構成された落ち着いた女性とは(いやいや、弟がいたり兄がいる子もいたっけ。)違って、本当に子どものように遊んでいた。
あんたには、男性に対する普通持ってる垣根がない、と怒られたこともあり、それをいちいちつやっぽい話にされても(いや、されてみたかった・・・?)困る。
が、文学作品は好きである。
ただ、恋物語より、もっと違う感じのが好きである。
『罪と罰』とか、『カラマーゾフの兄弟』とか、『知と愛』(これは結構な場面もある。)などなど。
なんという作品であったろうか?
ヘッセの作品に、愛されてばかりいて、愛することを知らない男の子が出てきて、確か神に祈るのではなかったか。
一度でいいから、人に愛されるより、愛する人間になりたい・・・、と願う。
そして、彼は人を愛する喜びを知って死んでいく、というものがあった。
それくらい熱烈に人を愛してみたかったものだ。
数年前、先生筋の方が初対面の次の日、私のことを(前日生徒について話していた。)
愛情がめちゃくちゃ深い人やと思うねん・・・。
とおっしゃった。
正直、その人のイメージからは、
どの口が言うねん!?という印象であり、そのギャップに萌えはしないが、意外性に、
はあ?
となってしまった。
思えば意外な人が意外なことを言うことに呆れて、いや、びっくりし続けてきた人生で会った。
その中には、お願いですから、そのご職業なのだから、もっと尊大に威厳のある様子で、そんな世間話を私に振るようなことをしないでください・・・、と願った方々もいらっしゃったし、なんで私がこんな部屋(会社のトップの部屋)にいて、こんな話を聞いているのだろう?それも、なんて正直な話を・・・、というときもあった。
どれもこれも色っぽい話ではないので、単純に困惑していたのだけれど(いや、結構面白がっていたのかもしれない。)。
またまた閑話休題。
私も熱烈に人を愛してみたかった。
いや、生まれてきた我が子は熱烈に愛してきた。
生徒もめちゃくちゃ愛してきた。
例外的に、大好きだったし、今も大好きな人が2人存在する。
それは、父の弟で、随分前に亡くなった叔父さん。あきひろちゃん、と呼んでいた叔父さんと従兄のよしのり兄ちゃんである。
この二人のことを思うと、私は今でも小さい女の子のような気持ちになる。
真弓が勉強せなあかんから、優子、家に泊っていけや・・・。
とか、どうも妹が可愛がられていたら、そんな真弓は?と私の気持ちを訊いてくれていた。
叔父が家族みんなで車に乗り合わせてどこかに行こうというとき、幼稚園まで迎えに来てくれて、家に勢ぞろいした大人の前で、
な、お前はどこに行きたいん?
と訊いてくれたこともあった。
あの光景を思い出す。
それから、私にちょっぴり恋心を教えてくれたのは、息子だった。
いえいえ、危ない関係ではないし、息子は光源氏よりはむしろ夕霧に近いのではないか?と思っているのだけれど、それまで、誰にもそんなに可愛い様子をしたことがなかった私は、小さい息子を右に歩かせ(なぜか娘は左。私は頼りたい人は右に歩いてもらう癖がある。)、ねえねえ、と女の子みたいな気持ちになっていた。
向こうも、なんだか、守っている気満々で、
今日もちゃんと○○したの?などと上から目線であった。
小っちゃいくせして上から目線。
あああ、わずかに恋心を抱いたのが息子だなんて。
ちょっとばかり大きくなったころには、憎たらしい口を聞くので、
どのお口がそんなこと言うの!?と言ったら、
このお口~、と言うし、
何様のつもり!?と言うと、
俺様、王様!
とどこで覚えてきたのかわからないことを言い出し、
何か問いただすと、振り返るように、
この目が嘘ついてるっ目!?
などと生意気なことを言うので、
私の人生におけるわずかな恋心は、わずか数年で立ち消えてしまった・・・。
あのわずかな恋をしていた瞬間を忘れたくないなあ・・・。
それにしても、そのわずかな時間の経験で、『源氏物語』などと語っている私は、もしやまがいもんではないのだろうか・・・?
私の授業を聴いて、喜んでくださっていた女性の皆様、ごめんなさい。
でも、私は嘘付きではありません。
だって、文学は虚構ですから・・・。