私はしあわせだったのです~💛不燃物のお当番をして。
いろんなところを渡り歩いてきた私。
日本全国とは言えないけども、ある会合に出掛けたら、
櫻井さん、いろんなところで住んでたし・・・。
と言われるくらいに、それは私の特徴の一つになっているようで・・・。
それに、高岡で、幼稚園のPTA活動をしていて、どこから来たのか知っている友達は、私が、
高岡が一番いいところだと思うわー。
と発言したのを聞いて、
あんたは、どこに行ってもそう思って、そう言うとるやろ?
と言われて、札幌時代もそうだったなあ・・・、と思っていたりした。
札幌でも、本当なら限定した生活をせざるとえなかっただろうに、私は結構自分なりに羽を伸ばしてあれこれ活動していた。
夫の代わりに、乳飲み子を置いて大学の同窓会に出掛け、そこから学校勤めを始めたこともあった。こんなこと、その場では不良扱いされそうな行動だった。地域のミニコミ誌を編集する仲間にも入れてもらったし、ほかの方々がしない習い事を子どもにさせていたため、全く違うコミュニティにも顔を出していた。まるで裁縫教室だった。あの時代にソーイングの腕を伸ばしたのは言うまでもない。
おとなしく生活しているつもりだったけど、結構好きにしていたし、地元の人との交流も結構積極的になっていたものだった。
ただ一つ残念なのは、たった一晩、打ち上げと称して、ママ仲間でススキノの繁華街に飲みに行く・・・、という日になって熱を出し、断念したことだけだった。
それと羊ヶ丘展望台に行ってないことと、PMF音楽祭に開催場所と本当に近くに住んでいたのに行けなかったこと。テレビで様子が放映されていて、エエーン!と泣く真似をしていた。
それから、3,800円のウニ丼を勿体ながって、私には食べさせてもらえなかったこと(なんて食い意地が張っているのか!?)。
生まれ変わったら、羊ヶ丘展望台にも連れて行ってくれて、音楽祭にも行かせてくれて、ちょっと高価な海鮮丼も食べさせてくれる人と一緒になってやるー!と決意するくらいには恨みに思っている。(笑)
だから、数年前、出張と称して、ご丁寧にもビジネススーツを着込んで、彼の地に乗り込んだ。
恨みを晴らすべく、ホテルでホタテ(ウニではなかったか?)のカルパッチョを頼んで、ついでにステーキも張り込んで、ふふふん、と思っていた。
閑話休題。
そんな生活をしてきたから、自治会にしても、後から入る新参者の時もあれば、立ち上げメンバーになったこともあり、今のような仕事をしていると、また一からお願いします・・・、というようなことにもなったりする。
教室を開いた数年前は、教室のある場所の自治会にはよろしくお願いします、という状態だった。
先日、教室ともう一つの仕事場の不燃物のゴミ当番が重なった。
教室の方は、朝イチ、不燃物を捨てるためのかごやシートを置きに行かなくてはならない。
もう一つの方は、みんなでみなさんがごみを捨てるのをお手伝いし、間違ったところに捨てたりしないか、みんなで気をつける、ということになる。
私は、年に幾度もないこのお当番の前の晩は眠れなくなる。
もし寝過ごしたらどうしよう・・・、と思うのである。
いつもその時間に何にもなく眠っているというともないのだけれど、それでも、もし自分が寝過ごしてしまったらどうしよう・・・、となる。
5時半に絶対に起きなければならない、と緊張する。それが私用なら、5時半までグーグー眠っているところである。
その日も、車で教室の方の不燃物のあれこれをして、何食わぬ顔で、もう一つの方にウインドブレーカーを着て行った。
何気にこういう早業が好きだったりする。
若いころも、大阪の南の方の実家のマンションに、職場から夜辿り着き、妹と梅田で会って、あちこちに行って夜まで遊んで、それから北の方に会った実家に夜帰って、母に
朝、あっちの家で真弓に行ってらっしゃいして、今、ここで一緒におるのが、なんか不思議やわ・・・。
と笑われた。
父と母と3人で私の職場の近くで一晩過ごし、北の家から来た妹と一日遊び、そして、また、遠い実家に帰った、そのおかしさを笑われていた。
1日しかない休暇を京都駅から金沢まで雷鳥に乗って出掛けて、何食わぬ顔で、次の日に先輩の先生のダンスの発表会に出掛けていたこともあり、訳知りの先輩の先生に呆れられたこともあった。
だから、呆れられ、笑われるような早業が結構好きだったりする。
独身の頃、結婚前に、ちょっとは旅行でもしなあかん・・・。
とおばあちゃんに言われ、一週間後にニューヨークに行かへん?
と大学時代の友達に行ったときも、かなりのネタになった。
それは無茶苦茶だったので、それに、母に相当反対されたので(この人は、兄と妹になら許せることが私には許せない。私は過保護娘である。(笑))、成立しなかった。いや、それ以外の要素からも絶対に実現することはなかったはずだ。(笑)
というわけで、不燃物のお当番をしていて、嬉しいことがあった。
掛け持ちだったので、教室のほうのは片付けに行くのが少々遅めだったのだけれど、訳知った方が、きちんと片付けやすいようにしてくださって、後は物置に入れればいい、という状態にしてくださっていた。ありがたくて涙が出そうになった。
もう一つの方も、ちゃんとここのしなければならないことを何も参加しないということなくやってる・・・、と言ってくださった。
それがもう本当に嬉しかった。
教室の方では、可燃物のゴミ当番でもありがたかったことがある。
奥さん忙しいやろ思て・・・。
と、腰を痛めたおばあさまが、ビニールシートを片付けてくださっていたりもした。それも前回もそうだったのか、というタイミングで・・・。
犬のお散歩をされている、あるお店のオーナーさんも、
あんた、ここの先生やろ?いつもありがとう。
と言ってくださったこともあった。
というわけで、私一人の力で教室や相談室ができているわけではなくて、たくさんの人のおかげでできているという面がたくさんあるということをまたまた実感させていただいたお当番だったなあ、と感謝しているのである。