人生の中で出会っては別れ、別れては出会ってきた人たちの存在について
どうも最近、私は昔出会った人たちのことをよく思い出すようになった。
もしかしたら、最近また、出会う人の数が増え、私という人間を意識の中に入れるかのように、私について尋ねられたという話を聞くにつけ、自分がどういう人間なのか?わからなくなってきているからかもしれない。
私という人間は、語られる人によって、変わってくるはずだからである。
ここ数か月、専門家に質問ばかりしていた。
今までの仕事や家のことやあれこれしていたことに加えて、私がすることになったことがあり、それを全うするには質問しなければならなかったからである。
あまり細かく聞くのが好きではない。
専門家には専門家の考えがあるだろうし、下手なことを言って怒らせたくなどない。
自分のことならそれでいい。
けど、自分ではない人のことだとそうもいかない。
なんでこんなこと聞く羽目になっているのだろう?と思いながらお聞きしている。
いわゆる、高岡の、何でも聞いてすみません・・・、という状態である。
そのせいか、いろんな人たちから私について、どうのこうのと質問されていたらしく、当の本人は、どうしたって、良くないイメージで語られているのではないか?と思っていたのである。
ところが、そうでもないことを聞いてみて、あれ?おかしいな、と思ったのである。
そこで、昔、まだ若かった頃のことを思い出していた。
結構温かく包まれていた時代のことを。
私は、自分にとって良かった時代より、しんどくて、むしろ一生懸命に努力していた時代の方が懐かしいし、愛しい。
しかも、同じ時代の中でも、むしろ良くないことの方を考えてしまう。
大学時代の4年間、顔を見ては喧嘩していた同級生がいた。
周りは私たちが本当に仲が悪いとは思っていなかったらしいけど、私は自分が本当に困っていると思い込んでいた。
これだけ何をしても似合わん人というのは・・・。
とか、お節介にも若い娘に向かって(確か彼は同い年のはず。)、化粧はしないのか?とか、同じ授業に出ても、さっきの英語の訳は、あんたの性格をよく表していて、考えすぎでああなった、とか、とにかく隣のおばちゃんみたいにうるさいのである。
あまりにほかの同級生たちと扱いが違うので、ある日聞いたら、笑って、
あのねえ、ほかの人たちは、一回揶揄うようなことを言ってしまったら、終わり、というか・・・。あんたは、なんでそんなこと言うのん?と訊いてくれるから、誠実というか・・・。
と嘘みたいな答えが返って来た。
けっこういつも八つ当たりはされるは、きつい言い方されるは、参っていた。
楽器について、下手だ下手だと言われるし、だから、学部で同じ授業に出ていて、褒められるようなことがあると、ふふふん・・・、と思っていた。
ちょっと見返した気分。
その彼が、私が就職活動でのたついていたときも、ほかの友人を通して心配してくれているということを知ったし、結婚するときには、共通の先輩である夫に、よろしくお願いします、と頭を下げてくれていたらしい。
そんなことを聞いても、まだ、私は、会えば大人の対応はするが、楽器についてあれこれ無茶苦茶言われていたことの方を根に持っていて、結婚して大阪を離れる前に、ほかの文学部の男子の友達と梅田で食事をしていたときにも、あれこれ悪口を言っていた。
そしたら、私たちのどちらをも知っている文学青年のNが、
あのなあ、僕思うねんけど、喧嘩したリ悪口言ったりする相手って、心底嫌いではないと思うねん。
と言ってくれた。
そのときに、そっかなー?
と思いはしたが、全面的に受け入れることはできなかった。
美人は得なのだろうか?
そばで見ていても、美人は丁寧に扱われていて、私はどこに行ってもぞんざいに扱われているような気がする。
ため口だし、みんな。
年相応の扱いなど受けてはいないし、仕事の関係の人こそ、まれに櫻井さんではなく、先生、とは言われるけれど、なんか、小さい子供を扱うような雰囲気の人が多いような気がする・・・。誰かれなく先生扱いされるのはもっと嫌だけれど、先生どころか、大人扱いさえされていない時もある。
その原点は、その彼にある。
あいつのせいだ。
今は隣の県にいるあいつのせいだ!
とか思っていたけれど、彼が誠実、と言ってくれたことはどこかにぶっ飛んでいた。
それと同じみたいに、ある人から、○○だから優しいんやね・・・、と言われていたということを聞いて驚いた。
私は、聞かん気のわがままに映っているとばかり思っていたのである。
それも、周りの皆さんは、協力し、心配し、気遣ってもくださっていた。
そうそう自分のしていることを、悪くは考えておられなかった。
それなのに、私の方がずっと根性悪いではないか・・・。
と考えていて、不意に4年間喧嘩ばかりしていた彼のことを思い出した。
表現が下手だったけど、優しい誠実な人だった。
学外に出たら、庇ってくれたし、京都まで大阪から通っている私のことを、いつも大阪から通っている、と気遣ってくれていた。
私が素直でなかったのかな?とも思う。
そういえば、卒業式の日、それぞれに出る場が違うのに、卒業証書をもらう場でしか挨拶できなかったのに、目の前にいるのに何も言わなかったことをずいぶん長い間気にしていた。
札幌時代、大学の後輩が北海道旅行をした帰りに千歳出会いたいと言われたときに、その彼から彼女への年賀状が、とっても素敵な家族写真になっていて、私はとっても嬉しかった。
もし、彼が本当に気の合わないだけの人だったら、そんな写真を見て、嬉しくはなかったかもしれないな。
もう少し素直になってみようかな。(笑)
そういえば、彼は私が教師している私を見たことがない。
10年後の自分を訊かれて、優しい旦那様に尽くし、可愛い子どもたちに囲まれた専業主婦、と書いて、よしよし、と言ってくれた彼は、どうも私がキャリアウーマン、などと書いたら、怒りそうなくらい、男は男、女は女、と思っているらしかった。
一度教師を経験した後、私はその10年後は書いたとおりの生活をしていた。
今、彼が私のしていることを知ったら、なんと言うだろう?
褒めてくれるか、だから言ったやろう・・・、そういうことすると思おとったんや・・・、と呆れるか?
その彼は、情報によると、とんでもないイクメンになったらしい。
お互いに、全く反対の方向にブレているような・・・。
こんなことを書いてみて、最近、結構不自由に生きているような気がする。
大学時代、男子が多くて、バンカラで、勉強したければしたらいいけど、単位取るだけなら何とでもなった学生時代、周りにはハラハラされながら、男だ女だ言わずに友情を育んでいた時代が懐かしい。
とんだ高校に入学させられて(この出会いは本人からすれば不可抗力に近かった。)、勉強させしていれば何をしてもよかった、非常に変わった学校で過ごし、青春時代のありったけを経験させられた。
大学時代も、大学生として自分が考えられることは全部経験できた。
あの時代、自分というものを相対的に見始めた時代。
日本全国大阪だという意識でいたのに、お隣の京都に通学するようになり、全国にいろんな人がいて、いろんな暮らしがあるということを意識し出した時代。何より、JRが、京都以北に伸びており、特に北陸本線を意識してし始めたのを思い出す。
京都、というのが大きかったと思う。
大阪なら、大阪駅からそれ以東や以北を意識したかどうかはわからない。
自分が北陸に移り、ここを拠点として生きていて、振り返ってはおかしな気分になってくる。