捨てる神あれば拾う神あり
もうやめてやるー!
と叫びたかったことが一度や二度ではなかった。
若い娘が、一日果てしもなく仕事をし、伯父(母のお姉さんの旦那さん。)には、
若い娘が、おしゃれもせんと、通勤時間5分の所に勤めてるん言うんは、ようないなあ・・・。
とからかわれ、
真弓の顔見てたら、まだミルクの匂い(赤ちゃんの飲む?)しそうやなあ・・・、。
と笑われ、要するに色気がないと言われており、思い切り体格のいい高校生たちに囲まれ、先生面をするけれど、できず、というようなことをしてたので、当然と言えば言えた。
職員室の先生にも、色気がないことは笑われていた。
が、ひそかに付き合っている人はいた。
があまりに仕事ばかりしていたので(遠距離恋愛がそう思わせるには思いっきり効果的だった。)、
この人、仕事しか能がない、とまで言われた。(笑)
ありがとうございます!先輩!
最近、今度バスケットボールで推薦入試を受け、寮に入る予定の生徒さんがおられるので、寮生活・・・という点にピキッと反応し、私はまたまた新卒で勤めた学校のことを思い出す機会が増えている。
あの頃は、まるで神様に遊ばれているようだった。
もう、やめてやるー!と言いたいことがいくつか続く。
だんだん顔から笑顔が消えていき、険しい顔になっていることも気づいている。
職員室での発言もどこかトゲトゲしているのも自覚している。
おもしろくない・・・。これがあれほど憧れていた仕事か・・・、とも思った。
それなのに、職員室に戻ってきた先輩が、そういう時に限って、
さっき、進路で(進路指導室)、先生のことを、絶対仕事に手を抜かない、と○○先生が言ってましたよー!
とか言い出すのである。
これは本当に絶妙のタイミングだった。
もう、いやだ!辞めてやる!
と、先輩の先生方をにらみたくなるような気持ちでいるときに限って、そういう言葉が聞こえてくるのである。
本当に、神様がいるだろう・・・?と思った。
ああ、この辺で止めとかな、こいつ、嫌になるな、という神様の手加減でもあるみたいに、ふっと、そういう声が聞こえてくるのである。
ということで、たった3年だったわりには、濃い濃い教員生活だった。
その後、子育ては子育てで本当に面白くて、結構その時代その時代に求められたことは必死だけど楽しくやっていた。
でも、今でも思う。
あの時代がなかったら、その後、学校に勤めたり、予備校に行ったり、塾に勤めたり、ありとあらゆる教育現場で教師をしてはいなかっただろうし、今の教室もあり得なかっただろうな、と思う。
教室をどこかで学校のように思っている。
かつて生活指導で、授業で、生徒と付き合った中で、その子その子を伸ばしていく方法を手探りで探していた、その時に身に着けたことを最大限に生かして、生徒と向き合い、伸ばしている。
さっき、2階の自習室で受験生と話していたけれど、その当の本人も、相当成長した。
何度も話をし、時にはワンワン泣かせるほど向き合い、でも、私の言うことなら素直に聞いてくれるほどの関係を築いてきた。
あともう一息、伸ばさなければならない。
そこに、教科指導だけではできない伸ばし方がある。
それはすべて初任の学校で教わった。
つくづく、人を育てる学校であったと思う。
先輩の先生もおっしゃっていた。
ここにきて、あいつら、普通では伸びないほど伸びるよな・・・。
その意味を今頃になって実感している。