昨日できなかったことができるようになる喜び、そして、誰かの姿を味わえるようになる喜び。
私は、乗り越えるべきものがないと心底退屈してしまうタイプの人間です。
おそらくは、いくらのんびりしてもいいよ、と言われても、我と自ら、次の課題を見つけてしまうだろうし、おそらくは死ぬまでそんなものだろうと思っていますし、ある意味諦めてもいます。
小さいころは、とにかく起きていることが好きで、次にはどんな楽しいことがるのだろう?と思っていました。
そのうち、日々睡眠不足になる生活になり、眠ることが楽しみにもなりましたが、やはり、次から次へと何か見つけて楽しんでいるようなところがあります。
何でもいいのです。
おそらくは。
良いことでもなんでも、乗り越えた後の結果は同じなので、とりあえず乗り越えるべき対象があれば何とか生きていけるのではないか?と思っています。
なぜなら、とってもしんどい思いをしていた時期をこそ、一番愛しい思い出として覚えていたりするからです。
あの時があったから、と思わせてくれることもたくさんあります。
素敵な時間を思い出す?
試験に合格したり、採用されたり、というのも、自分が選ばれたことであり、嬉しかったのもありますが、それよりなにより、子どもたちが生まれたときは、自分の努力で何かをした、という実感がない分、誰かに与えられた感じがあり、本当に嬉しかったことを覚えています。
それ以外は、さて、どうでしょうか?
ただ、若いころ、職場で、泣きたいほどお付き合いするのが大変だった方々が3人ほどいらっしゃり、その人たちが学校を辞めることにはとんでもなく可愛がってくださっていた、という思い出は大きいな、と思っています。
その職場にいる限り、逃げることができない人間関係だったので、あれこれ工夫していました。
そのお一人お一人を考えていると、誰しも、
ああ、あの人と・・・。
と言われる強者でいらっしゃいました。
お付き合いしきれた・・・、という点で、私にとっては勲章のようになっています。
だから、受験指導していても、今が頑張り時!というときには精一杯励まします。
真価が問われるような時期です。
今が頑張り時!
ここで気を抜く人もいるけど、なんとか前へ前へと進む。
そのことがどれほど尊いか、そして、これから先の人生の中で、一生懸命に頑張ったことが、どれほど自分を支えてくれるかということを伝えたいのです。
子どもたちの通った小学校の校長先生が、おっしゃっていました。
思い出はその子の強さを作る。
小学校時代のシンプルな教えは、その子その子の根幹になって、その子を支えていくと思います。
そして、初めての受験の子が多い高校受験では、自分の力を初めて公に試される場であるとも言えます。
大人と子供の間のような15の春に、このような試験があることの意味をもう少し深く考えていたいと思います。
合格したかそうでないかが勿論一番大事なことではあるけれど、その後の人生において、どのような意味を持ってくるか、その乗り越え方もまた指導しながら考えていたいのです。