ここで、お話を聴かせていただいている意味
このHPを作ることになったきっかけ、というのは、大変に意味があります。
それは、教室を開き、大学受験指導をしていながら、もちろん高校受験指導もですが、そして、学習全般について指導させていただいているわけですが、それでも皆様のお話をお聴かせいただきたいと思っている大きな理由があって、それを皆様にお知らせしたかったのです。
教室で生徒さんをお預かりし、もちろんコーチングはしています。
受験勉強の進み具合や、気持ちの整理、心に迷いがあるよりは、しっかり目標を見据えて、すっきりした気持ちで、もう、ほかのことを考える暇もないような状態で勉強してほしいからです。
それに加えて、あまり学習の効果がないなあ、と思われるとき、私は面談をよくします。
とはいえ、それが、親御さんや生徒さん自身が成長されることを阻むような、つまり、私にばかり依存されているな、と思うようであれば、少し距離を置くこともあります。
その辺のさじ加減を調節しながら、でも、親御さんや生徒さんが迷われたときには、私は、面談をします。
成績のこと。生活態度のこと。進路のこと、などなど・・・。
ときに深夜に及ぶこともあります。
でも、それを嫌だとか、負担だと思ったことはないのです。
ただ、これは甘えているなあ、と思ったときには、そーっと距離を置くこともあります。
私が、その方の生きる力を奪う権利はないから。
実は、上の娘が、芸術家肌で、育てるのに、大変苦労しました。
いえ、私との関係で苦労したわけではありません。
私にとっては、素敵な素直な、そしてまっすぐした、公平ないい娘です。
私なんかより、ときに人間としての判断力は、自分が情けなくなることがあるほどでした。
一斉授業に合わないのです。
なんにでも興味関心があるし、それは違うでしょ、ということを放っておけない。その面において、私は彼女に何か言える立場ではありません。だって、今だって、私は興味、関心のある分野が多くて、自分でもどうしようもないな、と思わせられることが多いからです。それに、正義感が強い分、彼女はぶつかることも多かったと思います。
小学校を三つ通わせました。
幼稚園も楽しく行っていたのに、弟の里帰り出産のため、幼稚園を三か月もお休みしてしている間に、年少さんのクラスの雰囲気は固まってしまっていて、札幌に帰ったころには、彼女は居場所を探すのに必死で、かなり寂しい想いをしたようでした。
理解されにくい娘。
ピアノの先生も、音大に行くことを目指すような先生につかせてしまった私のせいで、彼女のいいところを伸ばしてあげることができなかった、と今でも胸の痛い想いをしています。
富山に帰ってきてからも、小学校で転校するまで、なかなか先生にもお友達にも受け入れてもらうことが難しかったようでした。
私は娘のために、どれほど胸の痛い想いをしたことでしょう。
相談したくても相談相手もいませんでした。
今でこそ、発達障害、という言葉が世の中に受け入れられて、それを、ちょっとした凸凹として、そう、個性として受け止められています。
どこかの能力は非常に高い。
でも、一般的にならしたとしたら、どこか、いわゆる空気が読めない、というようなレッテルを張られたり、困った子になってしまったり・・・。
でも、正直、私には、あまり、そういうお子さんと対していても、そのことで非常に困る、ということがあまりないのです。
それはそれ、その子、と思わせていただけます。
「よそではなかなかわかってもらえなかったんです。」とおっしゃる親御さんのお言葉をお聞きするたび、私は娘の子ども時代を思い出すのです。
彼女は中学校の先生には、とても受け入れられ、むしろ可愛がっていただいたと思います。だから、単純に芸術家肌、程度だったのかもしれません。
でも、ありきたりのある意味常識的に、そうして、母にとって幾分都合のいい娘だった私には、なんで?ということも多かったのです。
そこでそれするの?、あるいは、それ言うのやめて。と思ってしまうこともありました。でも、彼女の気持ちはわかるし、間違ってもいない。じゃあ、それをやめる根拠は、「周りがうるさいから。」にしかなりません。つまりは、「○○に○○言われるよー!」という話になります。
つまりは、周りがどれほど受け入れてくれるか?ということにつきます。
それに比べれば、ある意味息子は、非常にやりやすい子でした。
何かをしようと提案しても、初めは嫌がっても、すぐに、そっかなー!?と言う具合に、次の瞬間、それをやり始めている、という具合でした。
ピアノの練習も、先生に、むしろ、「ママが見てくれなかったから。」と訴えだす始末。
よくあるまっすぐしたレールを歩いていけるタイプでした。
それでも、小学校の男性の先生にはずいぶん目についたようです。
それとて、私たちが高校生の頃、ストーブに当たりながら、小学校の先生とのエピソードを語るとき、よく出た話題のようなもの。彼はことさら変わっていると言われるタイプではないし、まあまあ男の子だし、という程度。
私という教師を伸ばしてくれたのは、娘のおかげだと思います。
彼女が、母に対する私のような娘だったら、私は全く成長のない、一斉授業にハマるような子ばかりを相手にして、それをこそ評価するような教師になっていたかもしれません。
でも、彼女を可愛く思うから、私は母として、今度会う先生には、この娘を受け入れてほしい、と願うような気持ちで過ごしていましたから。
だから、本人のせいでなく、生きることがちょっと辛そうなお子さんを見ると、いつまでもなんとか楽しい生活になるよう、サポートさせていただきたくなります。
もう、大人になった子どもたちが、それぞれ、自分の属する社会で、いろいろ学ばせていただけるよう、また、親ではできない学びをどなたからかさせていただけるよう、私は、1人の母親としての願いが、どうしても、ちょっと客観的にならざるを得ない教師という仕事の基礎においてしまうところがあります。
それをもって、ある先生筋の人が、「つまりはおかんと経営者やろ?」とおっしゃいましたが、ときに、おかんでありながら、私は、バシバシ受験指導をしているところが可笑しいと言えばおかしいのですが・・・。
ご相談だけでもよろしいです。
料金のことも含めてご相談いただければ、と思います。
役に立ちたいのです。
かつての、若かった自分を見つめるように、私は子育て中の、親御さん方を、放っておくことができないのです。
と言いつつ・・・。
いつも先生に言いたくなるのは・・・。
うちの子どもたちは、私のことを、おかんだなんていったことありません!
ママか、母さんです!