お知らせ

心配はしてしまうものだとは思うけど、それでも専門家の意見は聞いた方がいいと思うという話。

いろんな方面に専門家はいらっしゃる。
お金を出して、ちょっと時間を掛けて、何かをしたら、なにかの改善がすぐになされる、ということは、基本的にないものだと思う。
いや、何か便利なものを買って・・・、という場合は違うけれど。

広告や宣伝の世界でも、誰かに何かをしてもらったからと言って、自分が努力しなかったら、何も起こらないだろう。
それが人相手のことになったら、相手も人、自分も人である。

いつも、その専門家に対して、事態が良くならないとばかり言っていたら、そう言われていたら、何も改善しないのではないか、と思う。
誠意ある仕事に対して、要求がましい思いをしていては何も事態は良くならないであろう。

これは教室や、私の仕事について言っているのではない。
ある専門家の力をお借りしてる人の、あまりにも感謝のない様子に、半ば呆れてしまったのである。
不具合を訴えても、人間相手の仕事だから、ある程度予測可能であっても、その見通しは立てることはできても、絶対ということはないだろうと思うのである。
私も、受験にお付き合いする身なので、どこの世界にも絶対、ということはありえないことを十分すぎるほど知っている。
その中で、精一杯、誠意を尽くしてくれている人に対して、私ならどこをどう考えても、不足に思うことなどできない。

さっき、ゲシュタルトの祈りというものを知った。
心理学の中でのお話なのであるが、すべてをあるがままに受け入れることが大切であり、ないものねだりをしないで、ありえないものを追い続けない。
というものなのだそうだ。
思い通りの未来を描き、そうでなければならないと思い詰めたとしたら、それはおそらく、未来はしんどいものになりがちだろう。
努力で何とか切り開けるものなら、そうなりたくない未来にならないように努力することはいい。でも、どんな世界の話でも、そうそう自分の思い通りになどならない。
そもそも天命というものもあるだろう。
受け容れるということの大切さを思う。
意外に受け入れてみて、感謝の気持ちをもってみれば、いろいろ見えてくるものもあるだろうと思う。

それにしても、世の中にはいろいろな仕事があるものだ。
思いがわかる分、少しだけでも理解していたいと思う。
精一杯やってながら感謝されるとは限らない。

そう思えば、教育という仕事の、何と感謝されることの多いことだろうか。

公開:2022/12/26 最終更新:2022/12/26