お知らせ

先輩のことを思い出すことが多くなっている今日この頃です。

後で考えてみれば、めちゃくちゃ頭のいい人なんだな、と思わされる方がいらっしゃる。
いや、頭が回るだけならそうそう関心もしないけれど、人間的な賢さも持っておられるし、繊細でもありそうで、その方とお話すると、私はかつての職場の先輩を思い出さずにはいられなくなる。

初任の学校で、なかなかハンサムな同じ教科の先輩は、職員室で会うなり、
1年目!?1年目は走らなきゃダメ!何にも1人では判断できないんだから!
と言われた。
他にも同じ大学の先輩とかその日に会って話しかけられた先輩もいらしたのに、私はその言葉をとっても心に刻んでしまい(こんな表現あるのだろうか?)、その1年は走り回ることになった。
その日の後、教材研究したくて、学校の図書館に通ったけれど、そのときにもなぜかそのそばにいらして、あんまり本があるわけでもないけれど・・・、とおっしゃっていた。
確かに大学を出てから、大学図書館がないのには閉口した。
文献がない。揃っているものが薄い。
当たり前である。そう言われなくては、大学図書館の価値がない。
が、困った。
あれほど知性の集まった場所はなかったのだった。
その後、学校を辞めたら、もっと本がなくなった。
大阪や京都ほど本屋さんがなかったこともあったけど、それより本を買うだけのお金がまずないし、それより図書館に行く方法もなかった。

話は反れた。
先輩は、とても頭の切れる人だった。
パーン!と頭の中で音がするように、表情が変わる。
怖い面もあったし、ご自分が徹底的に目上に逆らわない人なので、当然目下の私たちに求めるものも大きかったと思う。
ご自分に課したものが厳しめなので、当然周りにもそうなるのは当たり前。
でも、優しい方だった。
母なども素敵な方、と言っていたが、私が大好きな緒形拳にどうかしたら似ていらしたが、信頼はされても、あまり人気がないようだった。
気が小さい、とか神経質、だとか言われていらしたが、私には、先生の思いがよくわかった。
生徒のことを心配するところは私も同じだったから。
心配して、つい厳しくなるのは、特に私も若いころはそうだったし。
ほかの先生が気も着かないようなことを気づかれていたけれど、そういうところは私も同じだったし。
それにとても繊細な方だった。
私が、気にしていることも、ほかの人から見たら気づかないのに、その先生は気づかれて、対応してくださった。
職員室の中だから、批判めいたことも話題に上る。
そんなとき、私が気をまわして気にしたりしないように、今のは○○さんのことではないからね・・・、と言ってくださった。
気にするポイントが似ているからこそ、その先輩にはバレていた。

でも、よく頑張っている、と思った若手の先生には優しかった。
食べ物につられたわけではないけれど、上層部の会議が長引くと、お寿司が振る舞われ、鯛のおつゆもついていた(らしい。)。
遅くまで残って仕事していると、
これ、僕は家にご飯あるから・・・、寮にもって帰って食べて。おつゆは無理だろうけど・・・。
1年目で、自信のかけらもない時期に、そんな温かい言葉は本当にありがたかった。
私だけではない。
非常勤をしておられた、唯一と言っていい同期の先生にも同様にしておられた。
彼は本当によく頑張っていたし。

そんなこんなを思い出す。
とってもシャープだったし、繊細で優しい先生だった。
どこか図々しいところのある私など、辞めるころには、ずいぶんと先輩よりも図々しくなっていた気もするけれど。(笑)
先生は相変わらず目上は目上、だったけど、私はちょっと反骨精神もなくはなかったし、辞めることが決まっていたので、ある意味やりたい放題、自分がいなくなった後の学校のため、如何に生徒に残していけるか?ということばかり考えていた。
捨て身だったので、嫌われたって別にいいし・・・、というなんともまあ、3年目のくせに生意気だった。

それにしてもいろいろな方々と出会い、そしてそのお姿からいろいろ学ばせていただいてきた。
特に、最初に勤めた学校の先生方からは味わいと言うか、なんと言うかその人らしさを感じるものがある。
なんとも、○○先生だったら、○○とおっしゃるだろうな、というものがある。
当時の先輩方の年齢よりもさらに年齢を重ねたはずの今の自分なのに、どこかでまだ先輩の背中を見て生きているようなところがある。
愛情のある職場だったと思うし、そんなところで社会人としての最初の数年を過ごさせていただいたことのありがたさを思う。

件の先輩について言うと、ほかの人がなんと言おうと、当時から、誠実、と言えばその先生を思い出していたし、母のイメージからもそうらしい。
誰がなんて言おうと、私は先生のファンだった。
地方に来ても、訳知った人には、その先生の今いらっしゃる場所をお聞きしていたし、お嬢さんが自分と同じ大学に進学されたことも相当に嬉しかった。

奥様をこよなく愛しておられることも先生の素敵なところだった。
何度も書いてるなあ。ブログに。先生のことを。
それだけ私は先生の背中を見て走っていたということなのだろうけども。

公開:2022/12/16 最終更新:2022/12/16