カタツムリのようにゆっくりとした歩みであったとしても・・・。
経験上、ゆっくりとした歩みであってもいいから、毎日少しずつ前に進む気が合ったら、だいたいにおいて、物事はうまく行くと思う。
と言っても、私の場合、受験についてが大方の話になるのではあるけれど。
少々ベクトルが合っていなくても、とりあえず努力を止めなければ、仮に遠回りになったとしてもなんとかなるというものだ。
もう、事態が動いていないと思われるときもあるし、そのことに掛かれない・・・、ということもある。
私は高2の後半、正直勉強している暇などなかった。
捨てきって、部活にかまけなければ、どうしようもないところまで来ていた。
投げ出したかった面もあるけれど、私の性格上、それもできなかった。
高3になって、勉強だけしていればよくなったとき、突然、高校生活が楽になり、思う存分勉強できるので、楽しくなった。
寝る間も惜しんで勉強していた時期が今思い出しても充実していたようで、さわやかに思い出される。
高校時代一つを取っても、いろんな側面から語ることのできた時代である。
そののち、高校教諭になるという面から語ることもできるし、生活を呑み込んでいた部活でのこと、という面で語ることもできる。
でも、教師になるのに、あの部活動がなければ、絶対になっていなかった、とも思われる。
その時その時、精一杯生きてさえいれば、なんとかなるものだ。
逃げてばかりいたら、それは絶対に結果にはつながらないけれど。
逃げはしていなかったと思う。
先日、あることから逃げていた、と書いたのは、全く違うことでだった。
あることをはっきりしなかったのは、大学に入ってからもそうだった、というだけの話で、自分が努力することから逃げてきたのではない。
国語の教師として、ずっと読書し続けてきたこと、哲学書を読み続けてきたこと。
経営の勉強として、稲盛和夫さんの著書や、ピーター・ドラッカーの著書を読み続けてきたこと。
細々とではあるけれど、音楽も続けてきた。
お料理も、新しいレシピを試し続けてきた。
どれもやりたくてやって来て、努力というほどのものとも思われないが、それが、今の私を支えてくれている。
いつの間にか指導できる教科も増えた。
質問されれば大抵のことを答えられるようになった。
今は、高校の選択政経(受験科目は日本史と倫社だった。)の授業で、夢中になって聴いていた社会保障のところや労働法的なところが目いっぱい生きていて、生徒たちに語っている。日本史を語るにも、その知識は生きている。
勉強もしていないわけではなかったなあ・・・。
などと思うけど、とりあえず、本当に少しずつ進めてきた勉強が、今に生きていると思う。
主婦としてできることも、国語の教師としての教材研究も、必要な学びとしての読書も、あちこちで続けてきた。
それをしようと思わなければ、しないで済んだことも、もう少しの努力、ということで、毎日あきらめずに少しずつ前に進めてきたと思う。
決して、たくさんの時間をまとめて取ることができたことばかりでもなかったけれど、勉強は続けてきた。
また、昔は得意でもなかった、人と出会って、その人と、それなりにお付き合いしていく、ということも、少しずつ学んできた。
そのうちに、初めから合う人ばかりがいたり、絶対的に合う人が稀にいたりするのではなくて、出会って、そうしていこうと思ったならば、その人とわかり合い、それから努力して、人間関係を構築し、信頼関係を築いていくのだということも知った。
そこには、もうその関係はここで止めよう、ということも含まれることも。
自分がするべきことをするのに、どうしても、その関係を継続することが無理だと判断した場合は、そーっと離れるというのも、一つの選択肢になるということも許される、とも思っている。
一番大事なのは、目の前にある、自分のしたいこと、あるいはしなければならないことに全力を注ぐことである。
それができなくなるほどのことを継続していていいわけがない。
そこを見極めることのできる目も、年を重ねてできてきた。
すべては自分にとって一番大事なことのためにある。