バランスを取るということ。
ときに私は、ものすごくバランスを取りたくなる。
仕事ばかりだと、家事をしたくなるし、ほかのことで忙しくなると、なんとも仕事が新鮮になってくる。
教師席に座ったときの嬉しさよ!となる。
どうしたって、仕事をしていると、仕事中心にならざるを得ないところがある。
のめってしまう。
私の場合、結構周りから要望されることが多い。
いや、本業というより、なんだか本業でも何でもないのだけれど、なんでか頼りにされてしまう。
かつて勤めた学校で、学生寮に住んでいた。
その話をすると、揶揄うように、「寮母さんしていたの?」と訊ねられるが、それは寮母さんに失礼である。
まるで、寮母さんをバカにして、それで、私を寮母さんと言いたい、という感じがひしひしと感じられる。
私は、仕事そのものより、その仕事をプロとしてやっている人が好きである。
周りからの目ではなくて、自分が誇りを持ち、その仕事ではプロです!と言い切る人が好きである。
だから、そういう言い方は嫌いである。
私が寮係さんをしたら、それはそれで徹底してやるけれど、私は寮係だったわけではない。
学校の仕事をして寮に帰って来て、少しお手伝いをするのである。
生徒が相談に来たら、相談に乗るし、寮係さんがお食事をしている間、少し寮務室にいたりしたのである。
部活で受験できなかった生徒のために、私は学校の担当者から頼まれ、夜寮で模試を実施した。
そしたら、寮係さんから、怒られたことがあった。
私が学校の仕事を持って帰ったら、ご自分たちのお食事が摂れないと怒られたのである。
いつも仲良くしているのに、廊下で会っても、変な様子。
寮にとっては、私は居候という立場であるし。
これは相当に理不尽であった。
学校長が直属の上司であり、寮長は私の上司ではない。
その部下が、私に要求するのである。
おそらくどちらの仕事もあった場合、私の場合は学校の仕事を優先するのが本分だと思った。
そこで、幾分心情的な話し合いになったことがあった。
頭で考えるとおかしな話であるが、そこはもう私は逃げてもいい立場でもあろうが、大変そうなのはわかるから、こちらの意見ばかりを言うのではなくて、聞いておいた。
事実先輩には逃げ切ることのできた人もいらした。
組織的には、そこに居続けたことが良かったのか悪かったのかわからない。
けれど、学校の考え方と寮の考え方とどちらも知ることができたのは大きかった。
どちらか一つにしないと、狂っちゃうよ!と言った人もいらした。
でも、私の人生を表すように、2つの価値観を行ったり来たりして、どちらの視点も学ぶことが多い。
今も、私は、2つの価値観(大きく分けて、だけれど。)の狭間に立っている。
たぶん、どちらかに偏ると、サボっている感じがすると思う。
よく、寮は家庭と言われた。
お雛様のお祭りにまで、一緒に着物を着て出席した。
そのうち、どうしたって学校の仕事に傾くのではあるけれど。
ときに、自分の主張ばかりしている人に対して、どうしてその視点からしか見れないのかな?と思うことがある。
どちらの視点も持つことのできる人を尊敬はするけれど、そんなものの味方して、おかしくならないかな?と思うこともある。
と言いながら、私もどちらの視点も持つことができるといいな、と思っている。