お知らせ

ドッタンバッタンの私・・・。ー母校の先輩の死からその業績を知ることになって・・・。

本当に出会いの多い生き方をしているので、また、ときに情報を取り入れ、ときに過去とも対峙する機会もあり、私は、ときどき、自分の立ち位置を根本から考え直さざるを得なくなることがある。
役割だけで生きてきた時代とは違って、あれこれ自分の思いに合わせて、過去も現在も未来もバランスよく今に集約しなければ、一気にあれこれやって来て、私は自分がどういう人間なのかわからなくなることがある。

先日、中三生と話していて、ひょんなことから高校時代の先輩にとんでもない方がいらしたことを知った。
あまりにその生徒が私の高校についてあれこれ言うので(私が自分の高校時代をあれこれ思っているという話で・・・。)、本当にひょんなことで、同窓会のHPにたどり着いた。こういうことが私には割と多い。
そしたら今年の9月の終わりに、ある先輩が(それまで存じ上げなかった先輩である。)、亡くなっておられたことを知った。
高校○期○○君、となっていた。
その先輩が亡くなったことは、結構日本の国にとっても話題になることだった、というか、そのご職業において、偉大な業績を上げられたようで、各新聞が記事にしていたということがわかった。北日本新聞でも記事にされていた。

実は、あまりそういうことをする人がいない、というイメージがあった。
泥臭く、地道に、その先輩のような実績を重ねて、最高裁まで持って行って勝利する、というような人を知らなかった。
むしろスマートにエリート、という人がたくさんいるというイメージだった。

だいたい個別具体で語りたいし、類型論で語りたくないと思っている。
それに私の場合、類型論で語ろうとするときは、たいてい、あまりいい意味を持たないことが多い。
だから、I高、というときに、私の中のある感情が湧いてくるのを否めない。
でも、正直、母校にそんな人がいるなんて、と嬉しくなった。
今までのイメージが変わった。

先輩のご経歴を見ても、卒業当時は、あの学校ではそれほどエリート扱いされるようなものではなかっただろうと思う。
特に当時の男子としては。
それなのに、一生懸命努力して、試験に合格され、そこまで持って行ける人がいらっしゃったのだな、ということに私は感動した。
もっと経歴的にサラッとエリートはたくさんいらしても、むしろ泥臭い地道な努力という感じを母校からはもつことができなかった。

私は、本当に泥臭い努力が好きである。
職場の先輩でも、器用な人というより、泥臭い努力を重ねていく人が好きだった。
今でも背中を追いかけているような先輩は、誠実な努力を重ねる人だった。

高校時代、私は本当に不器用で通っていたと思う。
それが、職場では、高岡高校ご出身の先輩の、社会の重鎮である先生から、出張の時にこっそりと打ち明けるように、
先生のように、器用になんでも、私にはできん・・・。
と言われた。
その先生は、結婚式のスピーチで、何でもやることのできる人なので、これからは走ってばかりではなくて、時には立ち止まって・・・、とおっしゃっていた。
私は、てっきり、無類の努力家、などと言ってもらえると期待していた。(笑)

母校の人たちは、その中にいるときはそう見えなくても、どこで聞いてもも、やってしまう人として、聞こえてくる。
こんな遠くにいてさえ。
高校の雰囲気と、全然違う、合ってない、と周りにも言われ、自分も思っていたのに、最近、もしかしたら、合ってなくもなかったのかな、と思う。
高岡の高校勤務の折も、テキスト会社の営業さんに、なぜかI高出身だと見抜かれて、高3時の担任の先生の名前を口にされたときには唖然とした。

娘を3,740グラムという大きさで産んで、そうそう苦しくもなかった時、産院まで娘の顔を見に来てくれた高校時代の後輩は、
そうそう体力があるとは思えなかった先輩が、こんな大きな子を産むなんて・・・。
と言っていた。
職場では、私が体調を崩すと。鬼の霍乱、と言われた。
あの高校時代が、ちょっとすごかったのかもしれないな、と思う。

自分の像も変わってしまうような高校だった。

そんな高校の先輩に、もともとよくできた方ではあったのだろうけれど、そこまでされる方がいらしたなんて、素人の私でもその世界での大変さがわかる、どれほどの胆力を持って仕事を積み重ねられたのだろうと、そのご苦労がわかるようなお仕事に、なんとも言えない畏敬の念を覚える。

たぶん、人生で初めて、ああ、I高に進学してよかった、これも出会いだったのだと、避けられない出会いと経験だったのだと思わされた。

随分長い間、レベルの問題だったのか?とか、勉強がひどかったのだと思っていた。
でも、最近、合わないと思った理由が、全く違うところにあったのだと気づいたし、ある人の言葉で気づかされた。
そして、その時代が自分の人生の中で、統合してきたな、と思い始めたときのことだった。
相当に執拗に考えてきたのだな、と自分でも思うけれど、まあね、滑らかに、自分の人生の必然だと思えるようになったのなら、それで・・・。

公開:2022/11/04 最終更新:2022/11/04