そうか!?あなたはバドミントンをしに行くのね!ー思い出のバドミントン
今日、指導が終わった後、中三Kくんが、古城公園の体育館にお友達とバドミントンをしに出掛けるということは聞いていた。
バドミントンには親しみがある。
おそらくは、私が少しだけほかのスポーツよりもできるのは、唯一バドミントンだと思っている。思い出がある。
それを知っているKくんは、私に一緒にバドミントンに行こうと誘ってくれている。
そのうちにね・・・、と言っている私に、物理の勉強に行きましょうよ・・・、と言ってくれる。
運動のいろんな要素を語れるというわけで・・・。
一方、私には、高校時代にバドミントンにまつわる、結構印象の強い思い出がある。
受験期も押し迫った、11月ころ。
体育の時間に、突然、男女ダブルスのバドミントンの試合をさせられた。
私は昔から体育の時間が苦痛なタイプ。
ただ、ダンスは好きだったし、マット運動やハードル、そして、なぜか上り棒だけが得意だった。
それまでやったことのないバドミントンは、小さいときから母と、あるいは兄と妹と、遊び程度にはやったことがあった。
要するに、過保護な母が、あまり私には運動をさせなかったのである。
兄はテニス部、妹はバレー部。私はブラスバンド部。
母の意向で、私はなぜか文化部にしか行けない雰囲気だった。
ついでに言うなら、母は私に刃物などの危ないものを持たせてくれなかった。
でも、ダメ!と言われれば余計にやりたくなって、おじいちゃんの各種道具ーのこぎりなどをこっそり使っていたし、母のミシンには興味津々だった。
反面、中学生の頃までは、母の脅し?が効いたのか、幾分包丁などの刃物が怖かった。
危ないことをさせようとはしなかった母は、いまだに私が遠くに行くことを怖がることがある。
それが出張なら、別に気にも留めず、あちらに知った人がいらっしゃるから・・・、とどこに安心ポイントがあるのか、イマイチわからない。(笑)
そんな、運動はからきしできない、と思い込んでいる私は、なんと学年でも、一番と言っていいくらいに素敵な男子とダブルスのコンビを組まされた。
実は1学期、現代文の時間に、男女2人ずつの4人で、その、何でもそろっている彼の非は何か?ということを語り合ったことのあるくらい、素敵な人だった。オチも、非のないところが非、という結論に至る・・・。
成績はいいし、おそらくみんなが全員入りたがっていると思われる大学に、難なくストレートで入るだろうこともわかっていたし、運動部でも激しい部に入っていたし、それに何よりハンサムで、にっこり笑った目が優しかった。
先生も、彼が受験勉強を優先して、部室で勉強していても、「もう、○○くん!」と笑って注意され、そしたら、その彼は、頭の後ろを搔きながら、にっこり笑って、「すみません・・・。」と言うのである。
横で見ていても、ああ、こういう人いるんだなあ・・・、と思わされた。
その頃、席が近かったので、後で入って来て英語のどこをやっているか、教えて・・・、と言われたときも、礼儀正しかった。
でも、全然ときめかない。
そんな人とダブルス組んだ試合。
なんと私たちは、準決勝くらいまで進んだ。いや、その次くらいかな?
どう見ても運動できない私に、意外そうに、「俺ら強いなあ・・・。」と目を見てニッコリ。
「うん・・・。」と私。いや、ときめいてないって!
こともあろうに、一番相手したくない人が相手チームになり、思い切り私の鼻目掛けて、シャトルを当てられ〈受験前に何かあったらどうしてくれる!?と思いながら、そうされる理由がこちらになかったわけでもないので、まあ、当然の帰結だった。〉、アッサリ負けた。せっかく勝ち進んできたのに・・・。私の人生で初の体育の時間の快挙だった。
私にシャトルをぶつけた男子の、ラケットを振り振りコートから出て行く様子を今でも覚えている。
そんなこんなの思い出話をKくんは知っているので、バドミントンに誘ってくれる。
シャトルがぶつけられた、というところだけ彼は知っている。すごいエイムやね・・・、と若者言葉を使っている。
最近、そんなことばかりしてきた人生だなあ、とよく思う。
そういうこと、というのはどういうことかは触れずにおくけれど、その件で注意されたことが数回。
私はどうも愛想がよく見えるらしい。
ちょっと痛い思い出のあるバドミントン。
ある日、予備校の同僚と話していて蘇ってしまった、チクリと胸の痛む思い出。
嬉しいこととちょっと痛いことと両方を感じる思い出。
思い出すタイミングというものはあるもので、当時教育について悩んでいた私は、その思い出から、たどり着いたことにずいぶん励まされて教室の運営をしてきたと思う。
そんな青春時代に今から突入しようとしている生徒さんをお預かりして指導しているのだなあ、とつくづく思っている。