カントー「啓蒙とは何か」
次回の「哲学カフェ」で取り上げられる、カントの「啓蒙とは何か」を読んだ。
紙の本を読もうかな?と思ったのだけれど、やはり、字の大きさという魅力には抗いがたく、kinndle版にして、そしたら、ササーッと読めてしまった。文字が大きいというのは、なんとも言えないほどありがたい。
文庫本だと字が小さくて・・・。特に岩波文庫。
単行本で哲学書を手に入れるほど、私は専門家でもないし・・・。
ああ、これやんこれやん・・・。私の言いたかったことは・・・、ということになった。
実は、現代文の授業をしていて、いろんな文章を読んでは、それやねん、それやねん、私の言いたかったことは・・・、と言いたいような経験を何度してきたことだろうか・・・?
それを、高2の頃に出会ったカントに、今ごろ言われることになろうとは・・・。トホホ。
いや、カントはもうずいぶん前に行っていたけれど、私が読んだのが遅かっただけである。
いやもう、自分が職場で経験して、あるいは違う地方にやって来て、あるいは、いろんなところで住んでみて、言いたかったことは、これだ、これだ、となった。
理性とはないか?啓蒙とは何か?
理性の使い方にも私的なものと公的なものがあった。
出会ってからずいぶん経って、憲法とのあり方的な面での、カントへのアプローチはしてきたけれど、国家とは?という点で考えたことはあったけれど、こんなこと言っていたのか・・・。
確かに、高校生の頃に、もうすでに惹かれてはいたけれど・・・。
倫理社会が好きだった私に、大学に入ってすぐ、当時付き合っていた人に、一般教養で哲学を取りたい、と言ったら、
自分(関西人は、2人称にこの、「自分」という言葉を使う。)は哲学向いてないよ・・・、と言われた。
高校時代には、ジャーナリストは向いてないよ、とも言われていた。
どういう偏見だったのだろうか・・・?
私は素直に、哲学向いてない・・・、と思い込んだ。
それから、「哲学カフェ」には、たまたま憲法についての話題だったときに出席した。
いや、憲法だったから出席したのであって・・・。
それから、同じ場所で、開催された、「論語を読む」会に出席した時に、主催者の方から、
櫻井さん、「哲学カフェ」にも出席されない?
とお誘いを受けて、以前出席した方と、急遽、お昼ご飯をご一緒することになり、その時の「もつ煮込みうどん」は本当においしくて(それまでもつ煮込みが得意ではなかったけど。)、そして、体力をつけた私は、続いて「哲学カフェ」に参加し、講習中の忙しいときや、受験期を除いて、出席させていただいている。
そのうち、いつの間にか、哲学が片思い状態ではあるけれど、好きになってきた。
この「哲学カフェ」がなければ、あまり読まなかったであろう本も、何冊か読んだ。
とはいえ、カントがこんなこと言ってたなんて・・・。
今頃出会うなんて。
悩んでいたことの答えがすべてあった。
「啓蒙とは何か」は素晴らしい作品である。
結局、勇気という言葉に集約されるのか・・・。
というお話でした!