決して秘め事でも何でもないけどー私が支えているなんて・・・?
実はちょっとホッとした先日。
事柄的には、なんらおかしなことはないのだけれど、私たちの関係を思い詰めたら、私は嫌になる。
そこで、その人からの自立を切に願い、でもお別れする勇気などなく、結構な年月が経った。
どこかで、対等になろうとし、対等になどなれきれないと思い、この関係性は?と考えたら、何もしていないけれど、それはそれでいいのだろうか・・・?と思い詰めたこともあり、最近、私は私で距離を取っていた。
ある人の潔さを思い、私はこれはいけないな、と思っていたころに、ちょうどなんだか拗ねたような発言をされ、『源氏物語』の中の、夕霧に浮気をされた雲居の雁の言葉のように、まるで「限りなめり」とばかりに、限界のようだわ!と思い、もうイヤーだ!となっていた。
が、しかし、所用で会ってみたら、まあ、あちらも反省をされていたようで、私はちょっとホッとする。
私たちの関係には表の関係と、ある種心の中の関係があると思わされる。
定義し出したら、咎めたくなる。
職業倫理的にはどうよ!と言いたくなる。
私の仕事においては、絶対にない関係性である。
ただでさえ、私は職業倫理について、結構厳密に考えてしまう。
人間だから・・・、という言葉は実に便利だけれど、私は私には許せない感情というものがある。
けど、やっぱりいなくていい存在でもない。
今まで自分の人生の中で、お世話になったことも、助けてもらったことも、そして大きな岐路に立った時に重要な言葉を掛けてくださったのは事実である。
きれいごと大好きで、きちんとけじめ!みたいな私が、どこかできれいにさっぱりと・・・、と思ったのは事実である。
こんなこと考える人間だから、若いころ、結婚を考えない恋愛ができなくて、一生に一回は恋愛したかった・・・、などと言って呆れられてしまったのだと思う。
定義して、どれにも当てはまらない関係が苦手なのかもしれない。
でもとりあえず、治まってホッとした。
このままお別れするのかな?と思っていた。
ある人に言われた。
あなたがホッとする気持ちはわかる。
でも、あちらもホッとしてるって。
支えてもらいたいんでしょ?きっと。
と言われて、びっくりした。
私も支えていたの?と。
私ばかりが支えられていて、ある意味、自分がだらしなく思えて嫌だった。
けど、私も支えていたの?
と訊いたら、
今、思った。その言葉を今思いついたの。
と言われた。
別に何もなくても、そういう関係、ってあるのかもしれない。
私は、教師人生で、ついぞしたことのないことをした。
絶対にしてはいけないことなのだけれど、確信犯的に信念をもって、それは構わない、と思ってやっていた。
周りからも気づかれていたし、別にいいし・・・。
その方の大事な人を、周りがわかる形で私は愛していたし、そんなこと言われたって、どこ吹く風。
もっと関係性の深い人もたくさんいた場所で、私は堂々とやっていた。
職業倫理よりも大事なことだってある。
と思っている。
ときに信念が勝つこともあるから。
たぶん、きっとこれからも、誰にも、自分たちにも見えない形で続いていくんだろうな。
ただ、そっと自分たちにだけわかる感じで。
かつて予備校の同僚が言った。
文学や哲学や音楽、果てはお料理について語れる人だったし、まるで高校時代の友達のような人だったから(まさに、学ランとセーラー服の、賢いのかアホなのかわからない会話をしていた。)、訊いてみた。
全然趣味も何も、興味関心も違う人なんですよ・・・。
でも嫌いじゃないって、何なのかしら?
そしたら、その彼は答えてくれた。
人が人を好きになるって、学歴だとか、本を読むとか読まないとか、音楽が好きだとかそうでないとか、何が好きだとか、趣味は何だとかなどということは全く関係ない。
と。
どう考えたって、合わないのに、嫌いじゃない、って、もしかしたら、本当に嫌いではないということなのかもしれないなあ。
頭で納得できないのに、嫌いと言い切れないのだから。
それはそれでおいておいていいのかもしれないな。
あまり自分に厳しくなくても。
何をしでかすわけでもないのだから。
でもちょっと、誰かに迷惑かけてないかな?というのは考えすぎなのだろうか?
いるだけでいい、ということか。