ウソやろ!?完全にやられた感満載な、意外な私・・・。トホホ。
あまりそういうことはないのではあるけれど、ちょっと違うんですけど・・・、と言いたかったが、怒らせてはいけない相手に、瞬時にどう伝えるか・・・?と思い、丁寧に、うまく伝えるつもりが、当方も、二項対立で分析し、それを言った途端、大笑いされ、
まあ、そういうことやね・・・。
と言われて、こちらの意図通りにしてもらったらもらったで、出過ぎたことをしたのではないか?と気に病んでいたのだけれど、それは相手の方が上手で、その次には、ご自分のやり方がうまく行っていることをはっきりと表現され、見透かされた感、半端なく、ああ、やられたなあ・・・、と思っていた。
昔から交渉には長けている。
自分のために、自分が有利になるように交渉したことは一度もない。
たぶん、自分のためには一生交渉はしないだろうと思う。
ビジネス系の、相手がお金を扱う人相手なら、ちょっと話は違うけれど、生徒さんや保護者には交渉はしない。
それよりも、教育的に説得はするかもしれない。
草創期の学校で、教頭先生に対して交渉したことはある。
伝統校に勤めていた私には、その学校のある一面が納得いかなかったのである。
相手を立てつつ、でも、そこは国語の教師、譲歩構文を使って、強調に持って行く。
つまりは相手の論をまずは考えられる可能性のあるものをすべてもち出して、それから、その方向に行かないように、まずは譲歩して封じ込める。
でも、相手は、言い負かされた感はないはずである。
だって、努力は最大限に、盛ってでも賛辞するからである。
だいたい、相手を咎めていて、思うように進めることなどできない。
相手なら、そうするだろう・・・、と相手の身になって考えることができなければ、絶対にうまく進まない。
がしかし、今回は違った。まるでいつもの立場とは逆転だった。
私は、ある質問をするために、メモ書きまで用意したのである。
そして、質問したし、こちらの意図も伝えた。
目の前にいらっしゃる方は、物柔らかそうに、ニコニコ笑いながら聴いていらっしゃる(とのことだった。私には表情を見る余裕などなかった。説明するのに精一杯。)、で、全部ご自分の説を展開され、結論は、思うようなものにされ、でも、こちらもいつの間にか納得している・・・、という状態になってしまっていた。
後でよくよく考えてみると、全く抜けなく、質問に答えていただいていたばかりか、こちらが本当にそうだなあ・・・、と思わされていたし、それよりなにより、だいたい誰かとお話しすると、どちらかが理解していなくて、話の細部がねじれていたりするのに、めちゃくちゃ精緻に答えられていて、最後に訊かれた、質問について聴き返された件については、その中の話の中の抜けている部分をしっかりと埋めるものだった。
ああ、こういう人存在するんだなあ・・・、と思わされた。
なんとも複雑な思い。
答えは全部出たし、納得もした。気持ちにも何のこだわりもない。
ただただ、やられた感が半端なかった。
頭いいのに、これだけ人の気持ちがわかっていて、しかも嫌な顔一つしない人って存在するんだ・・・。
高校時代以来、その職業に対する認識を私は少しずつ変えようとしてきた。
偏見で考えてはいけないし、何よりとんでもなくお世話になった方だっている。
それこそ、自分の人生を正しい方向に進むように尽力してくださった方だっている。
それでも、なかなかそのイメージは払しょくできなかった。
類型論が嫌いで、個別具体であろうとする自分でも無理だった。
が、しかし、今回だけは認識を改めざるを得ない気がしている。
あああ、だから、私だって、どこでどんな私服を着ていようとも(いかにも主婦です、という格好であっても、教師だということはバレる。時には大学教員にされ、時には音楽の先生にもされる。)、仕事がバレることがちょっと嫌で、先生らしくない、と言われたら、喜んでいたけれども、その職業らしくない人もいるのか、それとも最近のトレンドなのか・・・?
一つ、ある意味混乱の種が増えてしまった感、半端ない。
あ、思い出した。
正直、大嫌いな職業がある。
これを当てられる人は、あまりいない。
でも、コロナが猛威を振るいだした頃、私の担当の若い方が転勤になられた。
最後の日に、その方と、うちの教室に入れるシステムについて話していた。
その、転勤先の支店は、行ったことのある場所にあったから、出張で行ったら、伺いますね!
と東京とはいえ、用事を作ることはできたから(本当に実務的に。)、まあまあ社交辞令で言ったら、
僕、2階にいるんで・・・。係が、○○係で・・・、と言われてしまった。(笑)
真面目な素敵な青年だった。
その経歴で、この業種にいるんだな、という感じで、しかもその人の働きで、私のその職業への偏見は払しょくしてしまったくらい。
本当は、人のために役立つはずの仕事。
私は絶対にできない、と言ったら、ある人に、いや、適性あるよー、と言われた。
支店長さんになられた方だったから、そう思っていただいて嬉しかったけど、私は、ほかの人とは違った仕事の仕方をさせてもらえるなら、ありかもしれないな、と思った。
男女雇用均等法施行3期生。
とても、文学部の私が食い込める世界ではなかったし、そもそも就職したいとも思っていなかった。
というより、私の中の偏見がすごかったし、また、見事にそれを実証してくださる方も多かったし。
教育の世界でも、私は、私なりの仕事の仕方しかできなかった。
最近、新卒で勤めていた頃をよく思い出すけれど、そうして、先輩方の背中ばかり見ていたような気がしていたけれど、よく言うわ・・・、と思い出した。
全日制で働いていた私は、一緒に仕事をする機会があったとき、定時制の先輩の先生にからかわれた。
先生、定時制に、○○先生という体育の先生がいるんだけどさ(知ってる知ってる。のちに先輩の先生の旦那様になられた人気者の先生だったし。一緒に数人で出掛けたこともあった。)、その先生、若いのに、肩で風切って廊下歩いているんだよ・・・。(笑)
先生も全日制で、そうなのかな?と思って・・・、とニヤリと笑われた。
意外だったけど、今思えばたった22で教壇に立って、いくつも違わない生徒相手に国語を教えて、一緒に遊びたいとしか考えていなさそうな相手に、楽しい話を求めている相手に、国語の授業を容赦なくやろうとし、おまけに生活指導をしていたので、なんで、私の言うことは聞いてくれないのに、先輩の言うことなら素直に聞くのよ・・・、と先輩の指導の仕方をひそかに観察して、そのやり方を盗もうとしていたっけ。(笑)
でも、その後に知ることになる。
先輩のやり方なんて、私がやったって、うまくなどいかない。
教師には、マニュアルは通用しない。
自分で自分の仕事の仕方を築いていくしかないのだ。
最近、ずいぶん頼りにし、慕ってきたと思っていた方々から自立のときが来ているように思えてならない。
人生の重大な時に、重大な発言をしてくださったし、このまま離れていくことはないにしろ、ちょっと今までとは関係性が変わって来た方々がいらっしゃる。
寂しい思いを抱えている、この数か月。
でも、いつもそういうときに思う。
誰かを慕ったり、その人だけは大丈夫・・・、などと思う自分が、至らないのだと。
自分の生き方くらい、自分で決めなくちゃ。
幻滅することが、そもそも人を頼っている、ということである。
若干18歳の芦田愛菜さんだって、裏切られる、というのは、相手に勝手に自分の理想像を当てはめていただけなので・・・、みたいに言っておられる。
誰かの像が変わったとしても、私は私で生きていかなければならないのだから。
ただ、できることなら、生徒さんや保護者の皆様からの自分の像が、崩れてしまって、絶望されないような自分でいたいな、とは思うけど。